「世界で活躍しているかっこいい大人」の生き方についてお話を聞いてみた! | 留学・ワーホリ・海外留学・語学留学は留学ドットコム

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「世界で活躍しているかっこいい大人」の生き方についてお話を聞いてみた!

公開:2020/01/20 著者:塩口 真由佳 650 Views

本日は名古屋にもキャンパスを構えているオーストラリアの語学学校SPCのインタビュー記事を紹介したいと思います。

留学ドットコム名古屋オフィスともご近所さんという事もあり、SPC名古屋キャンパスの寺澤さん、ラッセルさんの2名にお越し頂きました!

お2人はオーストラリアのケアンズとブリスベンに語学学校を構えるSun Pacific College(以下SPC)のマネージャーさんと先生です。

 

寺澤さんのプロフィール

・寺澤さんはご家族でのオーストラリア移住者

・13年間SPCで生徒さんのサポート学校のクオリティマネージャーとして勤務

・現在は最新キャンパスのSPC名古屋校の統括や英会話スクールの運営

 

ラッセルさんのプロフィール

・ラッセルさんは、アメリカ、デトロイト出身の英語講師

・アメリカの大学卒業後、いくつかの会社で勤務し英語講師へ転職

・オーストラリアのSPC勤務を経て現在はSPC名古屋校の英会話講師

 

インタビューしたところ、お2人ともとても興味深い経歴をお持ちでした。

「オーストラリアで働くこと」や「夢を実現させる方法」について知りたい方にぜひ読んでいただきたい内容となっています。また、みなさんに2人の魅力やSPCの魅力についてお伝えできればと思います。

それではまず、お2人がSPCで働かれるまでの経歴や、なぜオーストラリアから日本でSPC名古屋キャンパスをオープンすることにしたのかなどについてお伝えしたいと思います。

寺澤さんがオーストラリア移住をするまで~SPCとの出会い~

 

塩: 塩口 / 寺: 寺澤さん / ラ: ラッセルさん で省略しています。

 

塩: 早速ですが、寺澤さんはオーストラリアで働かれる前はどのような仕事をされていたんですか?

 

寺: 私は大学卒業後、すぐに結婚してしまったので日本での就労経験はなかったんですよ。でも、実家が自営業だったので、昔からその手伝いはしていました。あとは夫が開業医だったので、開業のサポートや裏方の仕事をやってたんです。

 

塩: 初めから海外と関係あるお仕事をされていたわけではなかったんですね~!では、どのような経緯でオーストラリアで働くことに?

 

寺: 実は、私は元々SPCの生徒として親子留学したことがきっかけなんです。2人息子がいるんですが、上が7歳(小1)、下が年少の時に1週間、夏休みを利用してSPCのケアンズ校に留学したのがスタートです。

 

塩: 元々生徒さんだったんですね!!では、なぜ親子留学をしようと思ったんですか?

 

寺: 理由は2つあって…1つ目は、私の心残りです。(笑)実は、私は学生時代からずっと留学したいと思ってたんですが、結局できなくて。「いつかは海外で英語を勉強したいな~。」ってずっと思っていたんですよ。

 

塩: そうなんですね!私もやりたかったけど、やらなかったことの後悔って結構多くあるので気持ちわかります。(笑)では、2つ目は?

 

寺: 2つ目は、息子達のためです。主人は小児科の医師もしていて、そこには中学受験で失敗して小児うつになってしまう子供達も通院していたんです。

 

塩: えぇ!小学生の時からすでにうつになっちゃう人もいるんですね…

 

寺: はい、「受験失敗で人生が全て終わった…。」と感じている子供達を身近に見てたので、自分達の子供も心配でした。だから子供達に「もっと広い世界もあるよ。」って事前に教えておこうと思ったんです!

 

塩: なるほど…。つまり息子さん達が受験で失敗しても落ち込まないように、視野を広げてあげたかったんですね。

 

寺: はい、その通りです!そして、その第一弾として訪れたのがオーストラリアのSPCでした。本来は毎年違う国へ短期留学する予定でしたが、ケアンズとSPCがあまりにも魅力的過ぎて、その後もケアンズ1本になってしまったのは誤算でした。(笑)

 

→ キャンパスの広大な敷地内には学内施設が充実しています。

 

塩: 最初は1週間の親子留学から始まって、今は13年間もSPCで働かれているんですね!本当に凄いです!寺澤さんは元々英語が話せたり、大学で専攻されていたんですか?

 

寺: いや。私も義務教育などでは英語の勉強をしていましたが…基本全く話せないゼロからのスタートでした。私は39歳から英語学習を1から始めたので、やはり若い世代のものではないなと感じています。(笑)

 

塩: 寺澤さんは39歳から本格的に英語勉強をスタートされたんですね!

 

寺: そして、今でも完璧な英語を流暢に話せるというレベルではありません。でも、英語はコミュニケーションツールなので、私自身はこれでも良いとも考えています。

 

塩: でも、寺澤さんは実際英語を使ってお仕事されていらっしゃいますし、同僚がラッセルさんなので「英語完璧じゃありません。」っていうのは、実際謙遜じゃないですか?

 

寺: いえいえ、とんでもない!!気になる方はぜひSPC名古屋に来てみてください。私の英語力をお見せいたします。(笑)でも、「私のこうした英語力でも海外で仕事まで出来きちゃうんだよ!」という姿勢は、ある意味で生徒さんに勇気を与えていると思います。(笑)

 

塩: 私も英語を話す時には「ちゃんとした英語を話そう…。」とついつい力が入ってしまうので、「英語は完璧に話さなくても良いんだよ。」という寺澤さんの言葉がすごくありがたいです。(笑)

 

寺: そうなんですよ!13年間このお仕事をしながらたくさんの留学生を見てきているんですが、「英語を完璧に話そう!」として逆に話せなくなっちゃうのが圧倒的に日本人に多いんです!

 

塩: えぇ!?そうなんですか!?

 

寺: やっぱり日本人はどこか「完璧に話せるようになったら話そう。」みたいに考えている人が多いんです。きっと塩口さんも留学経験があるのでわかると思うのですが、第二言語を母国語と同じレベルで話せるようになるのってめちゃくちゃ難しいですよね?

 

塩: はい…勉強すればするほど、天井がどんどん高くなる気がします。(苦笑)

 

寺: そうなんです。日本人はまじめな留学生が多いので…「完璧に話せるようになるまで話さない → 話さないので英語力が伸びない → 完璧なレベルに到達できないのでやっぱり話さない…」と「永遠に話せないサイクル」に陥ってしまう人も多いんです。

 

塩: 確かに…日本で「英語話せます。」というと、「すごいね!きっとネイティブと同じくらいのペラペラなんでしょ?」という高いレベルをイメージする人が多い気がします。

 

寺: ラッセルは、まだ日本に来て2ヶ月くらいで日本語もちょっとの単語しか話せませんが「僕は日本語話せるよ。」って堂々と言うんです。(笑)何百人という留学生を見てきて思うのは、日本人は「外国語が話せる。」という敷居を必要以上に高く設定しすぎていると思います。

 

塩: なるほど。次は短期留学からスタートした寺澤さんのオーストラリア滞在ですが、いつ頃から移住を考え始めましたか?また、その理由も教えて頂けますか?

 

寺: まず私はSPCのことがめちゃくちゃ好きになったので、SPCの寮(SPCは全食事付き寮を提供している)に住みながら、生徒を1年半してました。その間、学校のお手伝いなどをしながら滞在していました。

 

塩: そうなんですね。(笑)

 

寺: そして、その時点ではまだ移住までは考えてはなかったんですよ。

 

塩: 何がきっかけだったんですか?

 

寺: 子供達の進路選択がきっかけでした。当時「このまま子供達と一緒に日本とオーストラリアを行ったり来たりしていても、子供達の日本語力も英語力もきっと中途半端になってしまうなぁ~。」と感じていたんですよ。

 

塩: なるほど、お子さんの状況がきっかけだったんですね~。

 

寺: その時、子供達に「日本とオーストラリアの学校の一方しか行けないなら、どっちが良い?」と聞いてみると、即答で「オーストラリア」と返答があったんです。(笑)

 

塩: お子さんもオーストラリアの魅力に惹かれていたんですね!

 

寺: そこから何度も家族会議でじっくりと話合いながら、最後に主人が「家族がオーストラリアで頑張るなら、自分もオーストラリアで医師免許を取るよ。」と一念発起してくれたのです!そこから、家族のオーストラリア移住計画がスタートしました。

 

塩: おぉ~!素晴らしい旦那さんですね!!!でも、オーストラリアで医師免許を取るのはきっと大変でしたよね…?

 

寺: 実は、先月(2019年の11月)にケアンズの正式なドクターになりました。ここまで来るのに約5年間かかりました…。そして移住を決意してからは、約7年が経っています。

 

塩: えぇ~!7年越しのドクター登録!!

 

寺: 主人も50歳を過ぎてゼロからの英語勉強だったので、周りからは「家族移住なんて夢物語だ。」と言われてました。しかし、諦めずに続けたおかげで、ケアンズで初めての日本人医師になれたんです!

 

塩: 50歳過ぎてから英語を勉強して、海外でドクターになるなんて、凄すぎます…。(驚)

 

寺: 現在、主人がSPCの校医もやっているので、体調不良になっても日本語で留学生のお手伝いができますよ。

 

塩: 寺澤さん自身は家族移住に対して不安などありませんでしたか?

 

寺: 300%の不安だらけでした。(笑)でも、それと同時に150%のワクワクも感じていました。実際、確かに不安だらけですし、大変な道のりだとは思いましたけど…。

 

塩: 不安な時はどんな気持ちでいたんですか?

 

寺: 道中では不安ではあったのですが、「でも、この決断がきっと子供達に大きな未来や可能性を与えてくれる!」という確信は持っていました。だから、後ろ向きではなく「前を向いて頑張ろう!」と思えたんですよ。

 

塩: 本当に素晴らしいと思います!楽しいことが始める前には不安がつきものですよね。

 

寺: あと、よく「あなたたちは特別だからオーストラリア移住の夢を実現できた。」と言われるのですが、私達は自分のことを特別だと思ったことはないんです。

 

塩: そうなんですか?

 

寺: はい。(笑)もし仮に主人が医者ではなく他の職業だったとしても、あらゆる可能性を探して「絶対にオーストラリアに移住するぞ!」と頑張っていたと思います。

 

塩: それこそ寺澤さんがおっしゃっていた「前を向いて頑張ろう!」という所ですよね!

 

寺: はい、それこそ無我夢中でただ1つの目標に向かって諦めずにがむしゃらに進んだというだけだと思ってます。何か特別とか、能力があったわけではなくて、単純に諦めなかっただけなんだと私は思ってます。(笑)

 

塩: そんな寺澤さんが、何か大切なことを決めるときに大事にしている価値観を教えていただきたいです!

 

寺: まず、損得勘定で決めないという事ですね。迷った時は直感や自分が信じた道を選ぶように心掛けてます。

 

塩: 直感や自分が信じた道を選ぶのはなぜですか?

 

寺: もし損得勘定で判断しちゃうと、あとからその決断や道が「得ではなくなった時=損だと感じた時」にすぐ嫌になっちゃうので。でも難しい道であったとしても、自分が頑張ろうと決めたことや覚悟したことなら、損得関係なくずっと続けることができると思うんです。

 

塩: なるほど!自分のやりたいという気持ちを大事にするということですね。

 

寺: あとは理論的なものではなく、心の奥底から巻き起こるような「自分はできるぞ!と信じる気持ち」、英語だと「ガッツフィーリング」って言うんですが、これを大切にしています。

 

塩: 私も英語の勉強や留学で「自分できるぞ!」っていう気持ちはすごく大事だと思います。

 

寺: はい、その通りです!やっぱり簡単そうだからとか、難しそうだなって選ぶのではなく、自分がどうしたいのかで選ぶようにするってすごく大事だと思います。

 

塩: では、寺澤さんはどんな時にオーストラリアに移住してよかったと感じますか?

 

寺: やっぱりオーストラリアで「この人の心持ちや人柄ってなんだかものすごくステキ!」というような人にたくさん出会えたことだと思います!

 

塩: それって、日本ではそうした人にはあんまり出会えなかったという事ですか!?

 

寺: 結果的にはそうかも…。(苦笑)でも、まず私がしっかり伝えたいのは、日本とオーストラリアの両方にもステキな人はたくさんいるという事です。でも、日本だとそうした人に出会って、そう思える機会ってなかなかないんですよ。

 

塩: え?それって日本だとステキな人に出会う確率が低いって事ですか?

 

寺: いえいえ。(笑)きっと出会う確率はほとんど変わらないと思います。でも、そう思える確率にはかなり大きな差があると思ってます。

 

塩: なんでオーストラリアだと、そうしたステキな人に出会える確率が高くなるんですか?

 

寺: やっぱり、私たちは日本人なので、日本での日常生活で困る事ってめちゃくちゃ少ないんです。だから、他人から助けて貰ったり、親切にして貰ったりする機会も少なくなっちゃう。

 

塩: 確かに…私も大学ではもう三年生だから大学とかで困る事もないし、毎日の日常生活で困る事なんかはないかも…。

 

寺: そうですよね~でも、これがオーストラリアという異国の地で生活していると…「これってどうすれば良いんだろう…。」、「うーん、自分一人じゃうまくできないぞ…。」という事がポンポン出てくるんです。(笑)

 

塩: 確かに!私も留学していた時は、日常生活で困る事が多かったです。(笑)

 

寺: そして、オーストラリアで私達が困っていた時に、周りの人がものすごく親切に助けてくれたんです。「この人の心持ちや人柄ってなんて素晴らしいの!」、「この人はなんでこんなにもステキなの!?」と思える機会がめちゃくちゃ多かったんですね。

 

塩: 海外で本当に困っている時に、助けてくれると本当に感動しますよね!

 

寺: 私もやっぱり日本にいた時には言葉が全部通じますし、頼れる友人や家族もいるので塩口さんと同じように「日常生活で困って、それで見知らぬ誰かに助けて貰う。」という経験は日本ではほとんどなかったんです。

 

塩: そうですよね。「日常生活で困る事がない=恵まれていてありがたい環境」というのは間違いなくありますが、親切にして貰う機会はその分減っちゃいますよね。

 

寺: はい。その時のオーストラリアで感じた恩やたくさんの感謝の気持ちが、今度は「助けを必要としている日本の外国人にお返したい!」という気持ちに強く繋がっているんです。

 

塩: 日本のSPCキャンパスであれば、日本人である事を最大限に活かしてサポートできますもんね!

 

寺: はい!それこそオーストラリアで必死だった時の私が「なんでこの人達はこんなに親切にサポートしてくれるんだろう。」って感じたように、日本にいる留学生へ全力でサポートをしてあげたいと思ってます!

 

塩: 寺澤さんありがとうございました。続いてはラッセルさんへお伺いしたいと思います。

 

アメリカ生まれのラッセルさんがオーストラリアのSPCで働く理由

 

塩: ラッセルさんは、SPCと出会うまでどんな仕事をしていましたか?

 

ラ: SPCへ入る前にも多くの学校で英語の先生をしていたんだけど、実はその前には母国アメリカで先生以外の仕事をしてたんだよね。

 

塩: 先生になる前は普通の会社員だったんですね!どんな仕事をしてたんですか?

 

ラ: 例えば、医療品、チョコレート、化粧品会社でサプライチェーンのマネジメント(モノの供給連鎖の管理)の仕事を3年~4年していました。

 

塩: えぇ!全然、英語教師と関係ない仕事なんですね!

 

ラ: うん。3,4年間会社員として過ごしながら、ふと…「僕って、今多くの時間を機会やコンピューターと過ごしてる。人との交流が全然ないじゃん!」と気づいたんです。私は毎日機械との友好関係しか築けていなかったんで、これはやばいと思いました。(笑)

 

塩: それが英語講師への転職のきっかけですか?

 

ラ: そうです!いち早く、この環境から抜け出して、多くの人と出会い、世界を見に行くぞ!って決めたんです。そのためには、先生になるのが1番最善の道だと思いました。

 

塩: ラッセルさんは、先生が一番の職業選択だと思ったんですね。それはなぜですか?

 

ラ: やっぱり講師は人との交流がしやすい仕事だからだね!もし先生だったら、前職のように毎日コンピューターだけを相手するという事は間違いなくなくなるし。(笑)

 

塩: 確かに!コンピューターに指導する先生はいないですもんね。(笑)

 

ラ: 先生だったら毎日、人とコミュニケーションが取れるし、特に授業内であれば人と人との濃い交流もできるから。

 

塩: 授業中、先生として面白いな~って思う事はありますか?

 

ラ: 私は生徒へ英語を教える立場ではあるけど、同時に生徒からもカルチャーや考え方など多くのことを学べる部分がすごく面白いんだ!これはアメリカの会社で働いていた時は感じることができなかった部分だと思う。

 

塩: なるほど~!ラッセルさんは、いくつの国で先生として住んだことがあるんですか?

 

ラ: 実は、今いる日本が8番目の国になります。訪れたことある国を含めると55カ国ありますよ。

 

塩: えぇ!55ヵ国!!羨ましいです…。ちなみに、どの国が1番のお気に入りでした?

 

ラ: 日本以外ですか?(笑)そうですね、日本以外だとエクアドルに3年間住んでいたことがあったのですが、そこでは充実した時間を過ごせたと思います。

 

塩: それはなぜですか?

 

ラ: 長期滞在する事で、現地の言語であるスペイン語をある程度覚えれたのが大きかったですね。言語がある事でやっぱり人とコミュニケーションを取りやすかったし、友人を簡単に作ることもできました。日本人とも仲良くなりたいので、今は日本語を勉強中です!

 

塩: そうなんですね。(笑)今はどれくらい日本語が話せるんですか?

 

ラ: 最近は「ワクワク」という言葉を覚えました。あと、少しのひらがなも読めるようになりました。でも、まだ超ビギナーレベルです。カタカナと漢字はネクストステップです。(笑)

 

塩: では、なぜラッセルさんは母国アメリカではなく、オーストラリアで働くことを決めたんですか?

 

ラ: そうですねぇ~いろいろ理由はありますが、オーストラリアの雰囲気がやっぱり好きだからです。オーストラリアの典型的な「サーフィンする人々」、「輝いているお日様と海」、「ビーチでのんびりしながらBBQ」という特徴が何より魅力的だったからかな?

 

塩: 確かに。(笑)ビーチ、サーフィン、BBQがある風景は何よりオーストラリアらしいですもんね!

 

ラ: あとはアメリカより好きな所もありました。アメリカよりも治安が良いし、ライフスタイルも好きで、リラックスする場所が多いのも個人的に大好きですね。

 

塩: そうなんですね~55ヵ国も訪問したラッセルさんが気に入ったオーストラリアという国が、めちゃくちゃ魅力的に思えてきました!(笑)私はオーストラリアへいったことがないので、一度行ってみたいです!!

 

ラ: 私の中でもトップクラスのオススメ国ですので、ぜひ!(笑)

 

塩: では、そんな魅力あるオーストラリアをも離れ、日本(名古屋)で講師として働くという誘いを引き受けた理由を教えて貰えますか?

 

ラ: それは「この挑戦を通して、自己成長ができるぞ!」と思ったことが1番の理由です。

 

塩: ラッセルさんは、自分の成長のために日本滞在と勤務を選んだんですね!

 

ラ: はい。個人的に私は「人生は学びの旅」だと思ってます。新しい道を切り開くことで、自分達の能力や考え方を伸ばしてくれると考えてます。

 

塩: 人生は学びの旅!世界各国を旅してきたラッセルさんが言うと、説得力が半端ないですね!

 

ラ: ありがとうございます。(笑)校長の「日本で働くか?」という思いがけない選択肢が目の前に出た時には、自分は真っ先に手を上げて「僕がやります!」と言ったんです。

 

塩: 真っ先に手を上げて立候補したんですね!

 

ラ: はい、何よりもエキサイティングな場所である日本で働けるチャンスがあるなら、「そんなのYESって言うしかないでしょ!」という感じでした。(笑)

 

塩: 日本で働くのを楽しんでいますか?

 

ラ: YESSS!!とても楽しんでるよ。日本で過ごしていると毎日おもてなしの精神を感じることができるんです。ホスピタリティや暮らし方の違い、食べ物など全てを楽しんでいます。それに、日本は美しい場所だと思います。

 

塩: ははは。(笑)ありがとうございます!

 

まとめ

お2人のインタビュー前半戦では、お2人がSPCに出会うまでの経歴や価値観についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

 

特に、寺澤さんが30代後半に英語をゼロから学び始めて、13年オーストラリアで働いていたという話は「夢を叶えるのに遅いことはない」ことを証明していると感じました。

 

また、ラッセルさんの自己成長するために環境を変えることを恐れない姿勢は、「人生は学びの旅」というラッセルさんの考え方をよく表してして素敵だなと思いました。

お2人のパワフルで前向きな考え方に影響されて、私もポジティブな気持ちになれるインタビューでした。

後半戦では、「SPC名古屋キャンパスについて」や「生徒との思い出」、「SPCのユニークな取り組みについて」お聞きしました。後半もお2人や「Sun Pacific College」についてより深く知れる内容となっていますので、ぜひご覧ください!

 

 

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