大学2年生だった僕がカナダ留学を決意した本当の理由とは?
日本の一般の大学生は4年間で大学をストレートで卒業する。
僕もごく普通の大学生で、その道を歩む予定でした。
ただ気が付いた時には、僕は大学2年生の後期セメスターが終わってから大学を1年間休学し、カナダへ1年間の長期留学に行く決断をしていたんです。
海外に特別な興味があったわけではなく、大学の友達とワイワイするのが純粋に楽しくて、アルバイトをしてお酒を飲んで…という最高の大学生活を満喫していました。
そんな僕が「なぜ急に留学を決意したのか、その本当の理由」を包み隠すことなく話していきます。
軽く自己紹介
本題に入る前に最初に僕の自己紹介をするのを忘れていましたね!最初なので軽く自分自身のことについて書いておこうと思います。
これから留学ライターとして記事を書かせていただきます、吉山壱正(Issei Yoshiyama)と申します。気軽にIsseiと呼んでいただけると嬉しいです。
以下が簡単な僕の経歴です。
ざっとこんな感じで、「人生逆転留学をしたIssei」このように覚えていただけると幸いです。
自分で言うのも変ですが、僕は1年間の留学生活で人生が大きく変わりました。僕の人生だけでなく、考え方、価値観、行動の全てを変えるきっかけを与えてくれたのが留学でした。
ここまで変わるとは留学前の自分にはとても想像できなかったので、自分自身が一番驚いていますが、そんな僕の経験談や留学Hacks、留学アドバイスなど様々な事を惜しみなく発信していきます。
僕の発信をきっかけに1人でも多くの人に海外留学に興味を持って頂いて、実際に行動してもらえることほど嬉しいことはないです!
長くなってしまいましたが、そろそろ本題へといきましょう。
英語に興味を持ったきっかけ
中学時代といえば、中二病という言葉があるように反抗期の時期をほとんどの皆さんが経験したかと思います。
僕はどうかと言うと、まさに反抗期真っ盛りで本当に父親のことが嫌でたまらなかったのを鮮明に覚えています。
そんな僕の父親は地方銀行に勤めるサラリーマンで、僕が中学生の時に中国に3年間ほど単身赴任で滞在していました。
父親は実際に現地に行く前までは、中国語を全く話すことが出来ない状況だったそうです。
中学2年生の時、そんな父親に1年ぶりに会いに行くべく、家族で中国に旅行しにいきました。これが僕の初めての海外旅行です。
実際に職場である現地の銀行に父親の仕事姿を見に行った時のことや光景は、今でも忘れることが出来ません。
中国語も英語も話せなかった父が、外国人と流暢にコミュニケーションを取って仕事をしていたんですよね。
実際ペラペラだったのかは分かりませんが、素人からはそう見えました。
その姿があまりにも衝撃的で咄嗟に、「親父かっこいいじゃん…。」と思ったのが正直な感情です。
でも反抗期真っ盛りだった僕はそんな態度を一切見せることなく、父親大嫌いムードを出し続けました。(考えてみると情けないですが。笑)
その後、中国での仕事の成果が評価され、僕が高校生の頃に父親はタイのバンコクに2年間単身赴任行き、現地の銀行で働くことに。
ただ、タイでは中国で身に付けた中国語や普段使う母国語の日本語はなかなか通じないので、今度は英語またはタイ語を習得する必要があったそうです。
父はタイへの単身赴任が決定した時点で、タイ語はもちろん共通言語の英語でさえも全く話せない状況だったらしく、それから仕事が終わって帰宅してからもずっと勉強していました。
父がタイに単身赴任してから1年経ったタイミングで今度はタイに家族旅行に行ったのですが、この時も幸いなことに父親が働いている姿を見る機会がありました。
その時は英語を使ってコミュニケーションを取っており、その姿を見て「どこに行ってもうまく順応出来て、グローバルに働いて、父はなんて凄い人なんだ。」と度肝を抜かれました。
その時は中国の旅行時と違って反抗期は終わっていたので、父親に以下のような言語学習に関する質問をひたすらしました。
これが、僕が英語に興味を持ったきっかけの始まりだったなと思います。
ただ、飽きっぽい性格なのか英語に対するモチベーションが長く続くわけもなく、高校時代の英語の成績は5段階中3というもので、いわゆる普通の高校生でした。
成績を落とさないようにテストでカンニングをしたりしたこともあって、全く勉強をした記憶がありません。
父のように他の言語を話せるようになりたいと思っているだけで、全くもって努力をしない人間だったんです。
大学卒業後の不安…
それから高校卒業後は同級生と同じように普通に受験をして、地元広島にある私立大学の商学部に入学。
入学してから色んな人たちと出会いました。僕と同じような人が多かったので、その安心感や居心地の良さから完全なぬるま湯に浸かっていたのです。
その時は将来のことは全く考えず、「今が楽しければそれでいいんだ!」と、そんなマインドで毎日を楽しんでいました。
お酒、タバコ、麻雀など色んな遊びを覚えて、遊び終えて帰宅するのはいつも深夜。大学の授業も真面目に受けないようなクズ大学生で、1年間のほとんどを遊びに費やしていました。
ただ、2年生になったある日に就職活動をしていた先輩から就活に関する話を初めて聞き、「このままではやばい。」そんなことを考えるように。
県外のいわゆる有名大学に通う友達からは、当時聞いたことないような言葉ばかり聞こえてきました。
「地元でいわゆるFラン大学に通っているから、ただでさえ学歴で他の学生より劣っているし、何のスキルもないから就職活動で何もアピールできないじゃん。」
こんな感じで、不安は日に日に増すことに…。
ですが、当時の僕はどれだけ考えたとしても、何をしていいのか分からないし、何の仕事をしたいのかもビジョンもなく、何のアクションも起こせずにいました。
ただひたすら、自分の将来が不安でしかなかったです。
アメリカへ留学していた友達とのビデオ通話
そんな大学2年生が始まって3ヶ月経過した時、大学で出会った友人の1人であるKとテレビ電話をすることに。
Kは高校時代から英語に対してかなりの情熱を持っており、当時は僕たちの大学の優秀な学生のみが参加できるアメリカ留学プログラムに参加していました。
電話では色んなことについて話したのを覚えていますが、一番鮮明に記憶に残っているのが留学に関する話です。
留学といえば英語というイメージがあると思いますが、その時に話した内容は海外での生活や文化がメインでした。
日本では到底経験できないようなことを彼は経験していて、彼自身の知見が広がっていて、「羨ましい。」と率直にこのように感じると同時に「留学って就職活動にめちゃくちゃ有利になるじゃん!」と強く思いました。
情けないことに、当時は就職がゴールとしか考えていませんでした…。僕の頭の中は、こんな感じでした。
↓
・英語を話せるようになる
・国際感覚が身につく
(当時は国際感覚って何みたいな感じでしたが。笑)
↓
・そんな僕を会社は欲しがる
こんな感じに計算していました。
要するに「留学をすれば、僕が当時抱えていた不安は全て消えるだろう!」という感じです。
ただ、留学をするお金はないし、そんな時間もないし、何より行く勇気がないと思い込んでいました。頭の中では留学という言葉があったとしても、結局実現はしないだろうな…と思っていました。
当時の彼女に…
当時、僕はお付き合いしていた彼女がいました。
留学を決断できなかったのは、「彼女と離れたくなかったから。」という理由もあったのだと思います。(青春です。笑)
そんな彼女と付き合っていた2016年11月、急に彼女にフラれたんですよね。(理由はここでは詳しくは話さないので、興味があれば僕に個人的に聞いてください。笑)
ガラスのハートの持ち主だった僕はフラれたことがショックすぎて、当時は本当に何も考えられませんでした。
友達が慰めてくれても、遊んでも何も楽しいと感じることができず、思考はどんどんネガティブな方向へと悪化していきました。
挙げ句の果てには全てがどうでも良くなって、「どうやって死にたいか?」と訳のわからないことを考えていました。(メンタル弱すぎ…。)その中で出てきた答えが「バイクを乗り回して死ぬ」か「海外に行って死ぬ」の2つでした。
そして、彼女にフラれた2日後にはバイクの免許を取りに行くべく自動車学校に免許申し込みをし、同時に留学ドットコムに留学の相談をさせていただきました。
そのタイミングで、親にも「俺、来年から大学行かずに海外行ってくるわ。」と言っていたそうです。
今振り返ってみたら、自分勝手に行動しすぎたな…と本当に反省しています。留学のお金はどうにかなるだろう。また、大学に関してもどうにかなるだろう。こんな感じで、楽観的に考えていました。
周りからの批判・葛藤
それから留学の手続きを着々と進めていたのですが、実は悩んでいたことがありました。
それは、あまりにも勢いで決断しすぎてしまったことでした。
全く知らない土地で、今まで使ったことのない言語を使って生活することに不安しかありませんでした。
本当にこのまま留学に行くべきか悩んでいた自分がいたのが正直なところです。
と同時に、なかなか周りの友達に留学のことを言い出せなかった自分がいました。留学することを周りに言うと、必ずそれを批判してくる人がいます。
これら全て、僕が実際に言われた言葉です。
今冷静になって考えてみると、「日本人は周りと同じというのが正義」なのと、「自分のためなら他人の足を平気で引っ張る人が多い(妬み)」からくる言葉なのです。
しかし、当時はそんな考え方もできず、直前で留学プランを全てキャンセルしようかと思ったほど辛かったです。
1年休学をして留学に行ってしまうことで、大学の仲が良い友達と一緒に卒業できないことも1つの懸念点でした。
当時の僕と同じように、同期の友達と一緒に卒業できないことに悩んで、一歩を踏み出せない現役大学生はきっと多いんじゃないかな…と思います。
そんな時、こんな僕を後押ししてくれたのが、父親の言葉でした。
「せっかく一度決断したんだろ。男なら挑戦しろ、たくさん失敗しろ。そうすることでしか成長できないんだから。」
この言葉を言われて、自分の決意は確実に固まりました。
1年後に留学で人生が変わったと胸を張って言いたい。僕を批判した全ての人たちを見返したい。そして近い将来、誰かに行動のきっかけを与えたい。
この思いが留学を後押しするモチベーションとなり、たくさん挑戦して失敗するためにも海外に行く決断をしました。
【まとめ】 将来が不安なら行動を起こすべき!
今回の記事では、「僕が留学を決断した本当の理由」について話しました。
「結論、彼女にフラれたから留学に行ったの!?」
こんな質問をたくさんされますが、これが事実でノリと勢いだけで留学を実現しました。
もちろん、英語に興味を持ったきっかけの父親や、当時アメリカにいた友達とのビデオ通話がきっかけで留学に興味を持ったのは間違いありません。
ただ、最終的に留学を決意するトリガーになったのは、当時の彼女であり、それを後押ししてくれたのは父親と友人Kです。
留学前は本当に辛かった覚えしかありませんが、留学に興味や行動のきっかけを後押ししてくれた元彼女と父親、友達には心から感謝しています。
最後に僕自身の考えを述べて、この記事を終わりにしたいと思います。
僕は、留学するきっかけや理由というのは正直なんでもいいと思っています。
僕が留学に行った理由は、ここまで話してきた内容でしたが、現地で出会った友達はたくさんの理由がありました。
理由は100人いれば100通り存在し、その1つ1つが大切だと思うのでその気持ちを強く持って、留学に臨んでほしいと思います。
この記事を読んでくれているあなたは実際に留学に行ってみたい人や、興味がある人、その方の親御さんかなと思います。
今現在、行動を起こせずにくすぶっている方がいたら、少しでもアクション起こしてみてください。
「資料請求」、「経験者の話を聞く」、「誰かに相談する」、「SNSで情報を仕入れる」やり方なんていくらでもあると思います。
実際に僕がお世話になった留学ドットコムのスタッフ方は全員親身になって相談に乗ってくれました。
そのサポートのおかげで僕は人生逆転留学ができたと感じていますし、むしろそのサポートがなければ今の僕はいなかったと思います。
最後に一言だけ言わせてください。
留学に行くと本当に人生が変わります。これだけは僕が保証します。
下記の動画でも今回の記事の話題をお話していますので、良かったら動画の方もご覧ください。
もし僕でもよければ、喜んで相談に乗るので興味があればSNSからコンタクトをお待ちしています!動画の概要欄に僕のSNSのURLも貼ってあるので、そこからアクセスしてみてください。(動画上部のタイトル部分をクリックすると、YouTubeに移動します。)
それでは、また次回!