海外に住めば価値観は変わる!?著者がカナダに住んで変わった人生観や恋愛観、仕事観とは?
こんにちは、ちひろです。
突然ですが、こんなセリフを耳にしたことはありますか?
「海外に住んだら価値観が変わるよ!」
“価値観”とは何に価値があると認めるか?という考え方で、物事の良し悪しや方向性を決めるときは各々の価値観に基づいて判断します。
確かに、これまで育ってきた環境とはまったく別の場所で生活すると、新しい判断の基準ができそうですよね。
ところが価値観とひとくちに言っても、そこにはいろいろな価値観が含まれています。例を挙げると、人生観や恋愛観、仕事観です。
実際のところはどうなのでしょうか?
結論からお伝えすると、ウワサ通り、私自身も海外に住んだことで物事の見方や考え方に変化はありました。
今回はそんな海外生活における価値観の変化を掘りさげていきます。
「何歳からでも遅くない!」は本当
まず衝撃的だったのは、社会人留学をしている外国人の多さです。
私はいわゆるギリホリだったので30歳になってからワーホリに挑戦しました。日本を出る前は「きっとまわりは10代・20代の若い子ばかりなんだろうな…。」と考えていました。
でも実際は違いました。年齢制限がある兼ね合いもありワーホリビザで滞在している人は年下ばかりでしたが、留学生は私より年上の人が本当にたくさんいました。
特に海外からの留学生にはその傾向がよく見られました。ブラジルで弁護士をしていたという女性や、旦那さんと子供を連れて中国から来た女性、ヨルダンで会社を経営している男性…など、さまざまなバックグラウンドを抱える人と出会いました。
弁護士や主婦や会社経営者の生活を想像してみると、どれもそのままの現状に落ち着いても良さそうなものです。
けれども、そこからさらに自分自身を高めるために留学している彼女たちの姿に感銘を受けました。
新しいことに挑戦することに対し、遅過ぎるかどうかは他人が判断できるものではありません。
自分のキャリアプランやライフステージにあわせて自分で決めていくべきことです。心の底から、そんな風に思えました。もちろん「何歳からでも遅くないんだ!」と手放しで喜ぶのは早まった考えでしょう。
弁護士の女性の例であれば、母国でのキャリアブランクがネックになります。旦那さんと子供を連れてきた女性の場合は、家族の協力が欠かせません。
しかし、本人のやる気と努力次第では何歳になっても環境をガラリと変えられることを知ったのです。
デーティング文化にある意味納得
欧米では一般的ですが、男女間の恋愛におけるデーティングの文化をご存知でしょうか?
私はこの文化をカナダで体験して恋愛観も変わりました。
日本では男女が交際する前にどちらかが告白して、正式に付き合いをスタートさせるのが通例ですよね?
ところが、北米では告白文化はメジャーではありません。
北米では、日本人からすると曖昧とも思える関係がしばらく続いていつの間にかカップルになっています。この曖昧な関係が続く期間がデーティング、と言うわけです。
その名の通り、デーティング中は食事に行ったり遊びに行ったり…といったデートを重ねます。
特徴的なのは、正式な告白がないにも関わらず身体の関係を持つのが暗黙の了解であることです。
身体の相性も含めて、相手が恋人にふさわしいかどうかを見極めるんですよね。
“交際のお試し期間”と言ってもいいかもしれませんね。さらに独特なのが、デーティングはまだ正式な交際ではないので、他の異性と関係を持っても責められないという点です。
なんと、同時期に複数の異性とお試し交際できる状態にあるのです。日本と比べて欧米では男女交際における身体の相性が重視されているように思います。
ですから、その相性を早い段階で確認できるデーティングは、ある意味で合理的なシステムだとも言えます。
日本のように何度もデートを重ねて告白して付き合い、良きタイミングで関係を持って…という流れは欧米人の意向には沿わないみたいです。
“時間もお金もかけたのに、最後の最後で身体の相性が合わないと発覚したらそれまでの労力が水の泡になる…。”という考えがあるからです。
私がはじめてこの考えを知ったときは、「なんだか冷酷だな。」と思ってしまいました。
ですが、今となっては割と理にかなっていると考えられるようになりました。
なぜなら、夫婦の離婚原因のひとつに性的不一致が挙げられるのを度々目にするからです。
何十年という長期の男女関係においては、身体の相性も重視すべき項目だというのは、うなずけます。
ライフワークバランス
私はカナダにワーホリに出発する前は、仕事一色の生活を送っていました。朝早くに出社し、残業して家に帰ったら食事と洗面を済ませて寝る、というのが毎日のルーティーンでした。
休みの日に電話やメール対応するのも当たり前、必要があれば休日出勤するのも日常茶飯事な生活だったのです。
それを当然だと捉えていた環境からカナダに移って驚いたのは、カナダ人たちの完璧とも言えるライフワークバランスです。
例えば、平日夕方の4時くらいに公園へ行くと、子供と遊んでいるお父さんの姿が目立ちました。最初は「この人たち、仕事してないのかな?」と思いました。
しかし、実際は違いました。仕事は既に済ませて家族との時間を大切にしている父親たちだったのです。
また、レストランなんかに行っても、日本で見かけるような接待や同僚との飲み会シーンにはあまり遭遇しません。
友達や恋人と食事を楽しんでいたり、家庭がある人は仕事後にまっすぐ家へ帰って家族と食事したりするのを好む傾向にあります。
“仕事は仕事、プライベートはプライベート”がここまで明確に線引きされるのか!と感動すら覚えました。職場に目を向けてみても同じ現象が確認できます。
締め切りが迫っていようが、接客の途中だろうが「私の今日の勤務時間はここまでだから!」というあっさりした態度で仕事を切り上げていきます。
さらに、自分の仕事が終われば昼すぎに帰るのもOKで、朝の出勤も会議や約束がない限りは仕事の進捗にあわせて出社時間を調整しやすい状況にあります。
あくまで「やることをしっかりやっていれば、あとは個人の裁量に任せる。」というスタンスです。私の知人で日本の会社で働いた経験のある人がいます。
彼は電車通勤だったのですが、ある日、列車遅延のせいで遅刻してしまったそうです。すると、会社から遅延証明書の提出を求められたそうです。
その時、彼はあまりにもバカバカしいと感じたと言います。公共交通トラブルでの遅刻を説明するために証明書が必要だなんて、子供扱いされているとしか思えない、と言うのです。
何かにつけて、書類を出せだの決済をもらってこいだのと言われる文化は日本独特のように思います。
手取り足取り面倒を見てもらえるのが日本企業のいいところではありますが、それが裏目に出ると息苦しさや不自由を感じます。
【まとめ】 価値観の変化というよりも視野が広がった海外生活
如何でしたか?海外生活では価値観が変わるというより、厳密に言うと視野が広がった感覚がありました。
なぜなら、元々持っていた価値観が全く無くなってしまったかと言われるとそうでもないからです。どちらかと言うと、「そんな考え方もアリなのか!」と選択肢が増えた感じです。
ただし、それによって生きやすくなったのは間違いないです。個人個人で性格も得意なことも違うため、生き方も違って当然です。
誰でもそうだと思いますが、生活を続けていく中で良いとされる選択肢がひとつしかないのはあまりにも酷ですよね。
しかし、多様な価値観が認められている国で生活すると、固定観念や世間の当たり前という息苦しさに頭を悩ませる必要はありません。
海外で生きやすさを感じられるのは、そんな背景もあるからこそかもしれませんね。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。