海外で良く見かけるタトゥーはファッションだけじゃない!?人々がタトゥーに込めた意味や歴史をご紹介!
こんにちは、カナダ在住のちひろです。
本日のコラムでは、海外生活では良く見かける「タトゥーカルチャー」についてお話しします。タトゥーは日本語では、「入れ墨」や「刺青」としても知られていますが、針先に付着させた墨などの色素を皮膚に入れ込んで模様を描く身体装飾の一種です。
私はタトゥーと言えば、日本にいた頃はオシャレやファッションの一環で身体に入れるものだと考えていました。
しかし、カナダの友人に話を聞いてみると、タトゥーにはファッション以外にもいくつかの要素があることが分かりました。
そこで今回は、タトゥーの歴史やデザインに込められた複数の意味をみなさんとシェアいたします。
日本でも昔と比べるとタトゥーは身近な存在になっていますが、一方でタトゥーが入った人は怖いイメージを持つ人もまだまだ多いと思います。
今後海外生活を控えている方は、タトゥーを入れた人と接する機会が増えると思います。その際には、これからご紹介する内容も参考にしてみてください。
タトゥーの歴史
まずはタトゥー文化の歴史を辿ります。身体にタトゥーが施された跡が目視できる最も古い例は、約5,300年前(紀元前3,300年頃)のミイラだとされています。
その身体からは61のタトゥーが発見されましたが、当時は現代のような施術用具はなく、刺し傷に色素を擦り込む方法で着色していたことが分かっています。その頃は色素として煤(スス)や灰を用いていたようです。
以下では、その後どのようなコミュニティでタトゥーが一般的になったのかをまとめました。
・犯罪者
かつてタトゥーは「犯罪者の烙印」として使用されていました。例えば、中国ではコミュニティの中で「この人物を信用してはならない!」と他の住人に知らせるためにタトゥーが使用されていたそうです。
タトゥーは腕や足に入れると服で隠すのが容易なため、主には顔に印がつけられたと言い伝えられています。
日本でも江戸時代には「入れ墨刑」なる罰が存在していました。量刑によって異なる文字が額に付されたり、初犯から犯行を重ねるごとに書き足されたりしていたという記録が残っています。「前科者か否かが、誰から見ても一目瞭然。」という、なんとも信じがたい時代です。
・フリークショー
タトゥーはかつて、サーカス業界で普及していました。「サーカス」と言っても、1900年代前後は「フリークショー」の要素が強かったようです。フリークショーは、日本の見世物小屋(珍しい物を見せて観客から料金を取る興行)と同等です。
決して明るい歴史ではありませんが、昔は小人症や多毛症の人々が興行商品として利用されていました。当時はタトゥーが一般的ではない時代だったため、「身体に独特の絵柄をまとった人も見世物のひとつ」という位置付けでした。
2018年には日本でも映画「グレイテスト・ショーマン」が公開されましたが、「全身刺青男」がサーカス団員の1人として登場していたので、その様子を具体的にイメージできる方もおられるかもしれません。
・水夫(船乗り)
水夫(船乗り)達の間では、タトゥーは渡航歴を視覚化したり願を掛けたりするものとして流通しました。
例えば、「ツバメのタトゥーは5,000マイル(約8,046km)を航海した者の証し」や、「豚と鳥のタトゥーは海難事故防止のお守り」とされていました。
豚と鳥がお守りのシンボルとされていたのは、それらの動物が船で運ばれる際には浮力がある箱に入れられており、海の事故に遭っても生き残る可能性が高いことが由来となっています。
・アートメイク
「アートメイク」は現代でも馴染みがあるかもしれません。これは、皮膚に色素を注入して眉やアイラインを描く施術で、汗や洗顔でも落ちないことから「消えないメイク」と称されています。
アートメイクはすでに、1920年代にも人々に認知されていました。この時代には主に、眉と唇の色合いを美しく保つためにタトゥーが用いられていたそうです。
しかし、「タトゥーは犯罪者やサーカス団員、水夫が身につけるもの。」という認識も根強く、アートメイクを施した女性はその事実を隠して生活していたと言われています。
タトゥーの位置付けの変化
1930年代までは、タトゥーは社会的に広くは受け入れられていませんでした。
けれども、その後は徐々に一般市民の身近な存在となっていきます。以下では、その背景をご紹介します。
・デザイン
1940年代になると、水夫や兵士の間で人気のタトゥーアーティストが現れ始めました。
当時は第二次世界大戦の最中で、タトゥーデザインにも変化が出始め、愛国心や忠誠を誓うモチーフへ移行しました。
この変化は、それまで見世物としての利用であったり、限定的な個人の経歴を表すものだったりしたタトゥーが、より幅広い人へと浸透するきっかけとなりました。
・ミュージシャンのアイコン
1960年代には、あるアメリカのタトゥーショップが、タトゥー施術は感染症を引き起こす恐れがあると非難されました。
当時、その真偽ははっきりしていませんでしたが、タトゥー産業全体にネガティブなイメージを植えつけました。
しかし、一方でアーティストやミュージシャンがタトゥーを入れ始めた時期でもあり、世間の人々に大きな影響を与えました。メディア人が流行を生み出すのは、今も昔も変わりません。
・大衆化
1970年代以降はようやく、職業を問わず一般人にもタトゥー文化が浸透し始めます。
「タトゥーは見世物や犯罪者の証」という意識も薄れ、人々の間では平和を象徴したデザインが特に人気だったそうです。
現代でタトゥーを入れる理由
ここから先は現代では、タトゥーがどのような位置付けにあるかをご紹介します。
実際にタトゥーを身につけている友人に、デザインに込めた意味を尋ねてみると、様々な想いが詰まっていることが分かりました。以下で、いくつかの例をご紹介します。
・故人を偲ぶ
私がもっとも印象的だったのは、「事故で亡くなった親族を生涯忘れないようにするために入れたタトゥー」です。「亡くなった人は、誰からも思い出されなくなった時が、本当の意味での死だ。」という言葉もあります。
大切な人の死を風化させないためにタトゥーを入れる文化があるとは知らなかった私は、驚いたと同時に感動も覚えました。
故人を偲ぶタトゥーデザインで有名なのは、両手を合わせてお祈りしている姿や墓石、ロザリオ(カトリック教会で祈りを唱える際に用いる数珠状の用具)を描いたものです。そこに故人の名前や生年月日、命日を入れ込むのも一般的です。
・我が子を思う
夫婦やカップルが同じデザインを入れるパターンもあります。子どもが産まれた後に、両親が我が子の足形を模したデザインを身体に刻み込むのです。
生誕して間もない子どもの足形が好まれているそうですが、そこには彼らが初めて我が子を自分の腕で抱いた日の記憶を色褪せないものにする意図があるそうです。
また、流産や病気で子どもを失った親が、同様にして身体に足型を刻むケースもあります。たとえ短い期間でも、我が子の生きていた証を残すためです。
・モチベーションを維持する
プロバスケ選手を目指している友人がバスケットボールのデザインと共に、憧れている選手の名言をタトゥー化しているケースがありました。
ノートやスマホに言葉をメモするだけでは、それらを開かない限りは毎日見返せません。けれども、身体に刻み込むことで日常生活の中で自然に視界へ入ってくるため、モチベーション維持に役立っているそうです。
・傷を癒す
持って生まれたアザや手術跡を目立たなくするためにタトゥーを施している人もいます。
傷をデザインの一部にしたり、手術跡の上に色素を入れたりすることでコンプレックスを解消できる場合があるとされています。英語では「Scar Coverup Tattoos(スカーカバーアップタトゥー)」と言います。
・利益を得る
タトゥーは入れた箇所によっては人目につきます。夏場なら腕やふくらはぎが特に目立つでしょう。そんな理由から、「企業ロゴを身体に入れた人が街を歩くと宣伝媒体になる。」という見方があります。
言ってみれば、「歩く広告塔」です。そこで、自分の身体を企業や組織に提供し広告としてデザインを入れることで、報酬を受けるパターンです。
このタイプのデザインに関しては、「将来的に最も後悔しやすいタトゥー」として警鐘が鳴らされています。自分の身体を売る前に、特によく考えるべき部類のタトゥーと言えます。
相手のバックグラウンドをタトゥーから想像できる!
私は日本にいた頃から、タトゥーはアート性のあるファッションデザインとして興味がありました。カナダに来てからは、「外見からその人のバックグラウンドを推測できる。」という側面でも意義のある文化だと考えています。
特に相手が初対面である場合は、その人とコミュニケーションを取る際に配慮すべきポイントを考えるヒントになります。
例えば、身体に墓石やロザリオのタトゥーが刻み込まれていたら、「この人は過去にとんでもなく辛い経験をしたのかもしれない。」と頭の片隅に入れた上で会話が進められます。
逆に、タトゥーデザインからポジティブな意味合いや個人の趣向を掴めたならば、その話題を持ちかけて親睦を深めるきっかけにすることも可能です。
みなさんも耳にしたことがあるでしょうが、タトゥーを施す際には尋常ではない痛みを伴います。また、そのデザインを消したいと思う日が来ても、100パーセント綺麗に除去するのは不可能とされています。
友人に話を聞いてみても、「生半可な気持ちで入れられるものではない。」と言います。それにも拘わらず身体にタトゥーを入れる覚悟からは、並並ならぬ想いが感じられ心を揺さぶられました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。