12歳のフランス留学 ~留学のきっかけと学校生活~ 【前編】 | 留学・ワーホリ・海外留学・語学留学は留学ドットコム

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12歳のフランス留学 ~留学のきっかけと学校生活~ 【前編】

公開:2019/12/11 著者:小松 久里子 2194 Views

以前にも「どの年齢で留学するのが最適なのか?」という記事をお送りしたことがあります。

留学をする上で1つの問いになるのが、留学の時期、タイミング、留学する年齢だと思います。

短期留学でしたら、私は早ければ早いほど良いと思うのですが、1年以上の長期留学となると、色々考える事があると思います。

 

 

また、先日「留学コラム」内の記事で、小学校を卒業してオーストラリアに留学をしている方の体験談もありました。

 

 

実は私の最初の長期留学は、小学校を卒業してすぐの12歳の時でした。留学を決めた時はまだ11歳、小学校6年生の時です。この留学は親に言われたわけでもなく、自分で決めて親を説得し、中学1年生の時にフランス留学をしました。

では、「なぜ、そんな幼い時に留学しようと思ったのか?」今回は私の12歳からの留学経験を更に詳しくお伝えしていきたいと思います。

なぜフランスに12歳で長期留学したのか?

これは本当に色々なタイミングやその時の運も関係しているのですが、私が通っていた私立のエスカレーター式の小学校が、フランスに分校を設営しました。

私が小学校6年生の時に「東京校とフランス校どちらにでも行けます。」と言われ、私はフランス校を選択した、と言うのがフランス留学することになった理由です。

そう言ってしまうとなんだか簡単にも聞こえますね。自分で行きたいと言ったのですが、家族の反応はもちろん「そんな小さな年齢で、一人で行くなんて。」と反対。そこから数カ月にかけて家族を説得し、やっと承諾を得ました。

 

どうして12歳でフランスに留学したかったのか

「では、なぜフランス留学したかったのか?」と聞かれると、深い理由らしい理由はありませんでした。以前から留学をしたかったとか。外国に憧れていたという事は特にありませんでした。

一応、幼稚園の頃から子供のための英語教室には週1回通っていましたが、英語は得意ではなかったし、海外には行ってみたいと思っていたものの、一度も海外に行ったこともありませんでした。

そして、「外国に行きたい!」といった大きな野望も、フランスに夢や憧れも持っていませんでした。たまたま自分の通っていた小学校がフランスに分校を設営したので、「何となくフランスに行こうと思った。」という感じでした。

「小さい時にそんな決断を!?」なんて言われることもありますが、逆に小さかったからこそ、あまり深く考えず、「行ってみたい。」という気持ちだけで、決断してしまったようなところもあります。

 

12歳でフランスに長期留学

12歳の時に始まった私の留学人生ですが、その頃はあまり深く考えていませんでした。実は私の人生において、この12歳からの留学経験が私の一生の人生に大きく影響しています。それは今でも変わりません。

学校は中高一貫だったので、規定では短くて2年、長ければ6年の留学が可能だと言われました。

留学当初はどのくらい留学するかは決めていなかったのですが、一応6年留学するかもしれないという気持ちで日本を後にしました。

 

どうして留学したかったのか?

じゃあ、どうして私が留学という決断をしたのかというと、先程も書いたように、私は小学校からエスカレーター式の学校に入学しました。

当たり前ですが、幼稚園の時に塾に通い、親の希望で受験勉強をしました。

 

でも小学生の時に、このまま親の引いたレールの上を大学卒業まで歩きたくないとは思っていました。

 

けれど、幼稚園の時に泣きながら塾に通って受験をした辛さを覚えていたため、また新たに受験をする勇気もありませんでした。

そんな中、たまたま中学校に進むタイミングで、東京校か分校のフランス校に進学できるという選択が生まれました。

 

大学まで同じところに通うより、「少しでも変化のある学校生活を送りたい。」とフランス校を選択しました。

 

だから、フランスに行きたい、とか、海外留学したい、と言うよりは、大学まで決まったレール(進路)を進んでいきたくないと言うのが、留学することになった理由の一つだったと思います。

 

親の反対と留学の決断

私は留学経験者として、留学を検討している方々から留学相談を受けたことは何度かあります。

その中には、「親の反対が…。」という方もいました。私も親の反対はありました。でも幼いながらも、何度もお願いし、最終的には行かせてもらえました。

長期に渡ってフランスに行きたいと親を説得していたので、パッと思い付きの考えではなく、それなりに本気度は高かったのですが、最初の動機としては意外とあっさりしたものでした。

 

もちろん、行かせてくれた家族にも感謝しています。海外に行かせるということは親としても大変だったと思います。

留学の決断なんて意外と小さくても、何とかなるものです。私のケースは良い例ではないかもしれませんが、留学そのものは気軽に決断できるものかもしれません。

行ってから、行った後のことはある程度考えておかなければなりませんが、大学の交換留学、また帰国後に日本の大学に戻ってくるなど、その先が決まっているような留学であれば、行きやすいことは確かです。

 

もちろん、その先がどうなるか分からなくても、とりあえず行動することは大事だと思います。

 

私の行った学校は全寮制で、中学1年生から高校3年生まであり、最低2年間、最高6年間留学が可能だったですが、私は最終的には中学の3年間で日本に戻って来ました。

結局その留学がきっかけでその後の私の人生は、フランス以外にイギリス、アイルランド、スペイン、イタリアに留学するような人生になり、半分以上は海外在住になりました。

これもこの最初の留学がきっかけで、もしもあの時留学をしなければもしかしたら海外に出ることもない人生を送っていたかもしれません。

 

元々から変わった子供だった

そんな年齢で海外に単身渡仏するなんて、それだけ行動力のある、活発な子だったと思われることもあります。けれど、私自身、全くそんなことはありませんでした。

 

どちらかと言うと、学校ではおとなしく内向的な子で、本を読むのが好きなタイプでした。

 

なので、小学校でフランス校に希望を出した時も、学校の先生に心配されたほどです。それくらい、先生の中では想定外な人間が希望を出したと思われたようです。

 

ただ、確かに小さい頃からマイペースで、変わった子であったのかもしれません。

 

けれど、確かにあの時の決断から、私の人生はかなり破天荒なものになりました。もちろん、内向的な性格は変わりませんが、社交的に人と付き合うことはできるようになりました。

一人で何でもするタイプだったので、そのお陰で海外に行っても一人で寂しい、というような事は少なかったかもしれません。

 

学校での日々の生活

それでは全寮制学校はどんな感じだったかというと、その建物は元々昔の修道院系の学校で、私が入学したのは日本にある私立の学校の分校として建てられた日系の全寮制学校でした。

日系の学校だったので、学生は全て日本人で、文部科学省の規定に沿ったカリキュラムが組まれていました。

その頃、学校の校舎の中に住み、校舎の中にクラスも、食堂も、体育館も、図書館も全て揃っていました。校内には裏庭があり、テニスコート、バレーボールコート、バスケットボールコート、そしてサッカーができるほどの敷地がありました。

 

→ 広い敷地には校庭やテニスコート、バスケットコートなども完備。

 

学校の立地

学校はフランスにありましたが、アルザス地方の小さな村と村の間のぶどう畑の中にありました。村の中には雑貨屋が1つとホテル。もう一方の村には雑貨屋と、肉屋と、郵便局とレストランなどがあり、近くの村で遊び場などは全くありませんでした。

大きい村までは2.5キロ、一番近い街までは10キロあり、バスで行かなければなりませんでした。そんな田舎だったので、あまり出掛けるところもなく、遊ぶところもなく、ある意味退屈な場所だったかもしれません。

ですが、大人の人たちはこんなにのどかなところで生活できるなんて、本当にいい環境だと思う方が多いような場所でした。ただ、10代の学生にとっては、ちょっと物足りない場所だったかもしれません。

 

→ 学校はぶどう畑の真ん中の田舎の村にあった。

 

クラスの雰囲気と授業に関して

クラスは中学1年から高校3年まで、1クラスでした。定員は中学1クラス25人、高校1クラス35人でしたが、私が中学1年生の時はクラスの人数は18人、男子6人、女子12人でした。

 

文部科学省の認可が取れる学校だったので、授業は日本の中学、高校とほぼ一緒でした。

 

ただし、大変だったことは中学1年で英語とフランス語を同時に始めたことでした。また、先生は基本日本人でしたが、目で見て理解できる授業、体育と美術はフランス人の先生でした。

 

なので、フランスの学校と言うよりは、フランスの山の中にある日本の学校でした。

 

部活や課外授業

放課後は日本の学校と同様に部活動がありました。人数も少ない学校でしたし、その活動を既にできる人がいて、部活が作られていく感じでした。なので、部活によってはその活動をしていた学生がいなくなると、その部活がなくなります。そして、また新しい部活ができていく、という感じでした。

日本と異なる点は、フランス対戦相手を見つけたり、スポーツなどでは大会などに出場する機会もなかったりと、そう言う意味では体育会系の部活はちょっと物足りなかったかもしれません。

また、山が近いと言うことから、冬には選択授業でスキーの授業もありました。それが何より良い環境だったと思います。

 

寮生活

寮生活では、基本4人部屋で1部屋に二段ベッドが2つ、ベッドの下に棚が各自に1つ、それに鍵付きロッカーが1つ、洗面台が1つありました。部屋は縦割りで、中学生も高校生も同じ部屋で生活していました。

しかし、その後に中学生と高校生の生活が異なるという理由から、部屋は中学生用ブロックと高校生用にブロックに分かれ、中学生の縦割り、高校生の縦割りで部屋割りが決まる変更がありました。

寮はブロックごとに分かれ、シャワー、トイレは共同、キッチンなどは寮に1、2つあり、週末などに学校の許可があれば使える時もありました。その他寮内には自習室がありました。

 

学校の1日

朝起きて、身支度をして、朝ご飯を食べ、授業に行きます。寮もクラスも同じ建物内だったので、移動も簡単でした。そのせいか、学校の規定で「授業には体操着とパジャマ以外の服装。」という規定がありました。

授業は日本の学校と同じで、基本午前中4時間、その後昼食、そして2時間授業がありました。水曜日と土曜日は午前中のみ授業で、平日も授業の後、水曜と土曜は午後から外出可能でした。毎日の門限は午後6時で、点呼もありました。

点呼の後に夕食、自由時間、自習時間、そして消灯時間となり就寝となります。試験の間などは消灯時間が多少延長してもらえたのですが、どちらかと言うと朝は何時に起きても良かったので、試験の期間は朝早く起きて勉強することが多かったです。

 

食事

全寮制の学校なので、もちろん3食付きでした。構内に食堂があり、朝、昼、晩と食堂で食べます。

 

朝は フランスパンとバターと2種類のジャム。これにお湯とミルクがあり、紅茶、コーヒー、ココアが飲めます。あまりにもレパートリーが少なかったので、最終的にクリームチーズも出るようになりました。日曜の朝だけは菓子パンが出るので、みんな楽しみにしていました。

昼夜はほぼ同じような感じです。メインが1種類、そしてサラダとデザートを選び、それにパンとチーズが出ます。通常は食事はフランス料理で、週に1回日本食の日がありました。でも、フランス人が作る日本食だったので、あんまりおいしいものではありませんでした。

食事が自分の好みじゃない時は、いつもパンとチーズを食べていました。そのせいか、今でもちょっと小腹が空くとチーズを食べているのですが、これはこの頃の習慣なのかもしれません。

 

フランスで全寮制学校での生活とは言え、校内は日本とあまり変わらない環境だったかもしれません。

学校の外を一歩出ればフランス語の生活であることは間違いありません。しかし、3年フランスにいても、語学ができなかった話は、以前の記事でも書いた通りです。

それは、今回ご紹介した生活スタイルを見ても、あまり現地の人と交流する機会がないことがわかります。

 

 

次回は、もっと具体的な12歳のフランス留学と語学学習についてお送りします。

 

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