12歳でのフランス留学 ~周囲から聞かれる色々な質問とまとめ~
私は12歳の時にフランスに留学をして、その時の事を幾つか記事でお送りしていますが、その話をする時によく聞かれる質問があります。
今回はその質問を元に色々お送りしようと思います。
留学したい学生さんだけではなく、中高生のお子さんをお持ちの親御さんが心配する項目もあると思うので、色んな方の参考になればと思います。
親に勧められて留学したのか?自分の意思だったのか?親の反対はあったのか?
私が留学を決めたのは、小学校6年生、とまり11歳の時でしたが、親には何も言われませんでした。
留学することになったキッカケは、小学校にいた時に分校をフランスに設立することになり、その分校への生徒誘致があったことです。
それを聞いて、私はその分校に行きたいと親にお願いをしたのですが、最初は小さい子供がその時の思い付きで言っていることだと思われました。それからの数カ月、その学校に行きたいとお願いし続けて、最終的には親も賛成してくれました。
ホームシックにはかからなかったのか?
年齢的にもよく心配されることなのですが、最初に学校に入学した時はホームシックにはなりませんでした。携帯電話なども無く、学校には最初電話が1つしかありませんでした。その電話に夜の自由時間に親からの電話を受け継いでもらうことができました。
ただし、職員室で電話を受けられる状態で、先生がいるところであまり学校の愚痴なども言えず、また電話が1つしかないこともあって、親と電話で話せるのも1か月に1回もありませんでした。たまに手紙は書いていましたが、あまりやり取りは多くありませんでした。
逆にそれも良かったのかもしれませんが、恐らく最初は生活に慣れることに必死で、家族や家が恋しいと泣いた記憶があまりありません。
ですが、1学期が終わった最初の夏休みに日本に一時帰国し、その次の2学期の時にはフランスの生活にも慣れたせいかなぜかホームシックになりました。
家に帰りたいというホームシックよりも、日本に戻りたいというジャパンシックの方が強かったです。
日本が恋しくならなかったのか?
はい、ホームを『家』ではなく、日本と言うのであれば、たまに日本が恋しくなりました。フランスにいるとは言え、学校内は『日本環境』だったので、日本の文化も恋しくなりました。
学校内は日系の学校なので、生徒は日本人ばかりですし、ある程度の日本文化や日本の生活が広まっていました。
日本のテレビや雑誌があるわけではなかったのですが、日本のテレビや、日本の雑誌、マンガなど、そういうものは学校の誰かのご両親が送ってくれます。誰かが持っているとそれを借りたりして、多少の日本の情報が入ってきていました。
逆にそれがかえって、日本に帰りたいと思う要素にもなってしまったのかもしれません。
また、フランスにいながらも、フランスの文化に触れる機会が少なく、ある意味閉鎖された空間でもあったので、違う意味での外への恋しさもあった気がします。
私が住んでいた場所は田舎の村だったこともあり、ちょっと外に出てお菓子を買ったり、お茶をしたりというようなこともあまりできませんでした。
そういう中高生が学校帰りにするようなことができないことで、違う恋しさというか、欲求があった気がします。
日本食は食べられたのか?日本食が恋しくならなかったのか?
これは大きく「YES」です。やはり学校の食堂の食事はフランス料理が多く、日本食も恋しくなりました。
一応週に1回日本食だったのですが、フランス人の作る日本食で、不味くはないですが、日本の日本食とはちょっと異なるものでした。私は、個人的に学校の食堂ではフランス料理方が好きでした。
寮で暮らしていると、段々皆知恵もつき、湯沸かし器や炊飯器を買う生徒も出てきて、自分で御飯を炊いたり、日本からお味噌や、カップラーメンなど持って来てたまに食べたり、親御さんからそう言った日本食を送ってもらったりする子もいました。
もちろん、寮では3食付きということもあって、いつでも使える共同キッチンなどはなく、自分達がご飯を作れる場所はなかったのでなかなか難しかったです。
一応共同キッチンが寮内に2つあって、週末などに申請をすれば使わせてもらえる機会もあり、たまにそこで料理をする子達もいました。
日本食と言っても、こてこての寿司や天ぷらという日本食が食べたいと言うことではなく、もっと家庭料理だったり、母親のご飯だったり、から揚げとか、ちょっとしたお菓子だったり、些細なものが食べたくなる時もありました。
毎日何を着ていたのか – 学校の服装規定
全寮制の学校には、日本のような制服規定などはありませんでした。ただし、一応学校の規定で、【寝巻と体操着以外で授業に出る】という規定がありました。恐らくこれは、起きて寝起きのまま学校に来ないように、ということかもしれません。
普段はズボンもスカートもOKで、動きやすい普段着を着ていました。それ以外の規定がなかったので、中学生からピアスもOKだし、髪を染めるのもOKでした。特に、海外在住の生徒の中には元々ピアスを開けていたり、髪を染めている子もいたので、外見には規定がなく、そういう意味ではかなり自由な学校でした。かくいう私も実は12歳の時にピアスをあけました。
夜はもちろん寝巻に着替え、体育の授業やクラブ活動の間は体操着を着ていました。一応授業ではNGとなっていましたが、構内体操着でいてはいけないという規則ではなかったので、クラブ活動の後そのまま体操着で夕食に来る子はいました。
生徒はどこから来ていたのか?
私の通っていた学校は、元々ヨーロッパをメインに海外赴任をしている家族の子息のために設立された学校でした。ですがヨーロッパだけではなく、私がいた頃はロシアやアフリカなどから来ていた生徒もいました。土地柄ドイツにも近いということもあり、日系企業の多いフランクフルトやドュッセルドルフから来ている生徒やスイスから来ていた生徒も多くいました。
また、この頃ヨーロッパには同じような日系全寮制学校もあり、恐らく生徒数確保も難しく、海外赴任の家族だけでなく、日本からも生徒が留学していました。他の日系全寮制学校でも、やはり英語圏の方が人気があったのかも知れません。
前にも書きましたが、他にもバックグラウンドが異なる生徒が多く、中には日本人学校出身、インターナショナルスクール出身、現地校出身の子もいたので、英語のほうが日本語よりも得意な子や、ドイツ語が話せる子、フランス語が話せる子などもいました。
日本や自宅に帰国する頻度
それでは、そんな全寮制学校に留学している間、どのくらいの頻度で日本に帰国していたかというと、学校の長期休暇の時には寮は閉鎖されてしまうので、本来は家に帰らなければなりませんでした。
でも日本までは遠いので毎休み帰るわけにもいかず、中学1年生の時はまだ年齢も小さいからと毎休み日本の家に帰されていました。中学2年生の時は、冬休みと春休みはイギリスにホームステイをしに行き、日本には帰りませんでした。そのため、長くて1年以上、日本に帰国しませんでした。ヨーロッパ在住の子達は、もちろん毎休み家に帰宅していました。
また、1学期と2学期に3~4日のお休みがあり、この間にヨーロッパ在住の生徒は実家に帰ることが許される時がありました。その時にヨーロッパ在住の子の家の引き受け側と伺う側の両方の親がOKをした場合、日本から来た生徒もヨーロッパ在住の生徒の家に遊びに行くことができました。私もそれで何度かドイツ在住の友人の家に行ったことがありました。
休み中は何をしているのか?
寮が閉鎖されるので、実家に帰るのが基本ですが、高校生などはサマースクールに通ったり、語学学校に行ったり、学校がホームステイをアレンジしてくれたりもしました。
また、中には夏休みを利用して、自転車でドイツからフランスまで旅をしたという強者の高校生もいました。高校生は結構自由で色々経験もできたのですが、中学生はまだ年齢的に小さいので、色々制限がありました。
私はこの学校には中学の3年間通い、そのまま高校には進学しませんでした。私は中学の頃からできればホームステイをしたり、語学学校に通ったりしたいと学校に希望を伝えていたものの、色々制限もあり「高校生になればもう少し自由になるから。」と言われていた記憶があります。
それでも、中学2年生の夏休みには休みの半分はフランスでホームステイ、冬休みはイギリスでホームステイ、春休みはイギリスでホームステイをしながら語学学校に通いました。また、中学3年生の冬休みもイギリスにホームステイに行きました。
フランスの全寮制学校には中学の3年間しか通いませんでしたが、先日お送りした『高校2年生の夏休み短期語学留学』など、その後も積極的に語学の勉強には励んでいました。
この中学での経験も、その後の高校での留学経験にかなり影響していたと思います。
中学生で留学して得たものは?
日系全寮制学校という事と、門限も午後6時という環境だったので、語学力的には旅行会話程度のフランス語ができるようになったくらいでした。12歳から15歳まで、3年間フランスに留学しましたが、結局語学習得と言う面では、環境的にもあまり伸びなかったのは事実です。
それでは「この留学は無意味だったのか?」という話になりますが、12歳の留学は私に多くのことを与え、その後の私の人生を大きく変えました。
ここからは私の人生を大きく変えた、中学留学経験で得たものは何だったのか…をお送りします。
① 自立心
12歳で親元離れ、1人で生活すると言う体験はそうあることではありません。それも遠く離れた海外で、1人で暮らして得た一番大きなものは自立心でした。
実はこの自立心というのは私だけでなく、子供である私の親離れだけでなく、親の子離れもできたと思います。
その後の留学時期には親もあまり心配しなくなりましたし、いろんな意味で家族が皆仲は良いけれど、一人でも生きていけるようになりました。
② コミュニケーション力
語学力はそこまで伸びませんでしたが、外国の人と物怖じしないで話すと言う事を学びました。外国人だから、日本人だからと言うことに関係なく、また語学力がそこまでなくても恥ずかしがらず知っている単語だけで話すと言う事に慣れました。
語学力だけではなく、コミュニケーション力の重要さを身に着けました。この後の海外滞在でも言葉が通じない国に行ったり、英語もフランス語も通じないという状況だったりする場合にも遭遇しましたが、日本語で相手とコミュニケーションを取ることも経験しました。
理解できない言葉であっても、堂々と手ぶり身振りを入れて話をすると何だかんだ通じる、ということを学びました。
③ 好奇心
何をするにも、やはり好奇心があってこそだと思います。幼い時に海外に暮らしていたお陰で色んなことに興味を持ち、色んなことをする原動力になりました。
それは今でも変わらず、その好奇心が行動力にも繋がっています。
④ 旅する力
旅をする力、と言うのも変な言い方ですが、どこにでも行けて、ある程度何でも食べられ、どこでも寝られるようになりました。
また、中学の時から大人ナシで電車や飛行機で国の移動をしていました。そう言う意味での旅力、行動力、移動力も得ました。
⑤ 留学力
留学力なんて力があるのか分からないのですが…。3年間の留学期間中、休みの間は実家に戻るのが基本であることは、上記でもお伝えしました。しかし、日本に帰るには飛行機代もかかるし、毎回家に帰るわけにもいかず、学校が長期休みの間、ホームステイを4軒、語学学校にも1回通いました。
最初のホームステイは学校で探してもらいましたが、それ以降は周りや『地球の歩き方 – 留学編』などの本から情報を集めて、自分で語学学校やホームステイ先などを探したりしていました。アレンジする時は英語のできる友達の協力を得たりもしましたが、留学エージェントの存在を知らなかったこともあり、自力で留学アレンジをしました。
なので、中学の時には留学アレンジ力、情報収集力も得ることができました。
おまけ – 笑顔の大事さも学ぶ
日本ではあまり見られない光景なのですが、ヨーロッパでは道で目が合うと知らない人でもニコッとします。言葉も分からない、日本人なんて全然全然知らない田舎にいたこともあり、たまに相手からじっと見られることもありました。そのため、道で誰かと目が合うと、ニコッと笑顔で返すことを学びました。
最終的には語学力上達は人生2度目の留学から身に付けたと言えますが、この3年間での自力で留学アレンジをしたり、移動したりすることも身につけました。また、どこでも寝られて、なんでも食べられるようになったのも、この留学のお陰です。
その結果、その後人生において短期~長期まで、イギリス、フランス、アイルランド、スペイン、イタリアに留学しました。留学の種類も語学留学に始まり、大学正規留学、大学院正規留学など、20年もの間留学し続ける人生を送っています。恐らく、12歳のフランス留学経験がなければ、こんな留学人生にはならなかったでしょう。