留学先でしか経験できない!私が異文化に触れた瞬間 〜前編〜
皆さん、こんにちは!ニュージーランド留学経験者の美沙季です。
現在は、英会話スクールも手軽に通える駅近のものや、自分と先生一対一のマンツーマン形式、一緒に学びモチベーションを高められるグループレッスン、そして通学の手間が省けるオンラインレッスンなど、さまざまな形態の英会話教室が存在していますね。
学校教育でも小学校から英語教科化し、多くの人が幼い頃から英語に触れる機会があります。大人の場合、自分から好みのスタイルの英会話教室を選ぶアクションを起こせば、たくさんの選択肢が得られる時代です。
一昔前よりは英語に触れる機会は確実に増えている日本ですが、そんな中でも留学の選択をする人たちはたくさんいます。
皆さんは、留学をする醍醐味って何だと思いますか?
理由を挙げ出すとキリがないくらいたくさんあります。留学をすることの醍醐味の一つとして挙げられるのが、「他文化に実際に触れることができる点」ではないでしょうか。
こればかりは、日本の英会話教室や学校の教室では多く得られる機会はありません。「他文化」といっても色々なものが挙げられます。
宗教や芸術、コミュニケーションの方法や生い立ち、その人のバックグラウンド、言語など。実際に現地で生活して、その土地に住んでいる人たちと関わることで、初めて気づく文化の違いに感動を覚えるはずです。
いくら教科書や大学の講義などで勉強しても、実体験に勝るものはありませんよね!
そこで今回この記事では、私のニュージーランドでの留学生活で経験した異文化体験を、具体的なエピソードと主に紹介していきたいと思います。
その上で、如何に留学をして異なるバックグラウンドの人々と関わることがその人の人生に影響するか、説いていきたいと思います。
留学する醍醐味とは?異文化教育の視点から
私は、大学生の頃にニュージーランドはウェリントンにあるビクトリア大学の語学学校に約4ヶ月間の留学を経験しました。
ビクトリア大学附属の語学学校の特徴として、アジアやオセアニア諸島、アメリカやヨーロッパの国々などから集まるたくさんのバックグラウンドを持った学生が毎日、同じクラスで授業を受ける点が挙げられます。
また、クラス間でも交流が盛んで、毎週水曜日は語学学校に通う留学生の全員が集まる講義もあります。2週間に1度、全部で10クラスあるクラスが2つずつ同じ教室に集まってお互いにテーマに沿ったプレゼンテーションを行う企画もありました。
休日には、語学学校で学全留学生が集まって、ウェリントンにあるボタニックガーデンでピクニックをするなどの交流もあります。
そんなビクトリア大学附属の語学学校では、日本で英語を学んでいるだけでは体験することのできない、本当の「異文化交流」ができました。
以下からは、私自身が体験した「本当の異文化交流」をエピソードを紹介したいと思います。
エピソード① 違う宗教への理解とリスペクト
留学中に通っていたビクトリア大学附属の語学学校では、英語習熟度別にクラスが分けられ、自分が配属されたクラスで授業を受けます。
私が配属されたクラスは、10分けられたクラスの中でも最も国際色豊かなクラスでした。ヨーロッパからはフランス、中東からはヨルダン、イラン、アジア・東南アジアからは中国、日本、ミャンマー、ベトナム。
南米からはコロンビアなど、さまざまなバックグランドを持つ留学生が集結していました。
とっても中のいいクラスで、先生たちの中でも話題だったそうです。そんなとても居心地のいいクラスで、私が特に交流が深かったのが、毎日同じデスクでグループになっていたヨルダン出身のアブと、中国出身のソロ、日本の関西出身のミキでした。
宗教的にも文化的にも、そして歴史的背景も、はたまた性格も全く異なる4人が集まると、いい化学反応が起きて毎日の授業が楽しみでしょうがなかったのを思い出します 。
日本の関西出身のミキとも、現地で出会いました。彼女もとっても学ぶ意識が高く、同じ日本出身でもちろん日本語が通じるのですが、クラスで授業を受ける際は「留学生同士」です。そのため、日本人同士であっても、常に英語で会話をしていました。
ある時、休日に4人で海にバーベキューをしに行こうという話になり、土曜日に車を持っていたソロが車を出してくれました。4人でウェリントンのアイランド・ベイで良いスポットを発見し、早速バーベキューの開始です!
毎日学校で授業を受けている3人とプライベートで会うのは新鮮で、学校で会う時とは異なる開放感を感じました。
でも、休日でも性格がバラバラの4人が集まると常に大爆笑!楽しい時間を過ごしました。
日本出身の私とミキが、忘れられない異文化体験をすることになったのは日も暮れ始めた夕方でした。そろそろ街に戻ろうかと帰りの片付けを始めた頃、突然アブが「みんな、ちょっといいかな。」と言いました。
私たちは「どうしたの?」と聞くと、あと数分で、お祈りの時間なんだ。片付け中で悪いんだけど、お祈りをさせてもらえる?」と、ある一点の方角に向かって座り出しました。
私たちはここでやっとピンときました。そうだ、アブは中東のヨルダン出身で、イスラム教徒。1日の決まった時間にメッカの方角を見て、お祈りをするのです。
私たちは、「もちろんだよ!」といって、アブの礼拝を見守りました。ちなみに、礼拝の時間自体は、さほど長い時間ではありませんでした。お祈りが終わるとアブは立ち上がり、何もなかったかのように片付けを再開しました。
留学に来るまでは、日本で大学生活を送っていた私。日常的にイスラム教徒の人と触れる機会はなく、間近でお祈りを見たのは人生で初めてでした。自分がモスクのある場所にいなくても、メッカの方角を知ることができるアプリがあるそうです。
お祈りの時間の少し前になると、そのアプリをチェック。時間になったらメッカの方角をみてお祈りを始めるそう。
ニュージーランド留学する以前は、もともとイスラム教徒ではなく、むしろ無宗教を貫いていたアブですが、ある時を境に「自分は一体この世になぜ誕生したのか、どのように生まれてきたのか、生まれる前は一体何者だったのか?」と考えるようになったそうです。
神様という存在について興味を持った彼は、中東では特に身近であるイスラム教について親近感を覚え、その後はイスラム教の信者となったそう。
当時、日本で育ったものとして、宗教についての概念や捉え方や価値観について当時まだ知識不足でした。そして経験のなかった私にとって、アブが聞かせてくれた話は斬新で新鮮なものでした。
それと同時に、どうしても「神様を信仰する」ということ自体がしっくり来なくて、理解に苦しむ感覚も覚えました。
概念について理解をする前に、まずは異なるバックグラウンや価値観を持つ人のことを受け入れ、リスペクトをしている姿勢を見せることはできると思います。
正直理解に苦しんだ「特定の宗教への信仰」ですが、知らなかった海外の宗教や文化、価値観についての知識を得ようと努力することは諦めませんでした。
社会人となった今もまだまだ、世界中の宗教を取り巻くさまざまなことについて勉強中です。
この留学中の経験から、異なるバックグラウンドを持つ人へのリスペクト、そして学び理解する姿勢は絶対に無くさないように心がけています。
エピソード② その国出身だからこその事情
先ほどお伝えした通り、私が所属していたクラスは多国籍、他文化、さまざまなバックグラウンドを持つ留学生が集まったクラスでした。さまざまな事情を抱えた各々がニュージーランドという国を選択し、学びにきています。
ある学生は既に結婚し大学生の娘がいましたが、夫と離婚し、ニュージーランド人男性と再婚。デザイナーの仕事をこなしつつ、語学学校に入学。
仕事のない夜中を使って毎日徹夜で課題をこなしている強者でした。ちなみに語学学校の最終試験は首席という快挙!
またある学生は、元々ニュージーランドの別の大学でワイン作りについて学んでいましたが、自分の夢が変わり途中退学。ビクトリア大学の修士課程に進学して研究者になるために、再度大学附属の語学学校からスタートしていました。
他にも、母国にいる妻と幼い子供としばらく別れ、母国で大学教授を目指すために博士号を取りにきたエリートや、そのままニュージーランドに残り永住権を取得する予定の人など、語学学校に入学した理由は本当に様々でした。
誰もが素晴らしい夢を持ち、目標に向かって努力を惜しまない素敵な人たちでした。そんな中で、私のクラスに最も影響を与えてくれた学生がいます。
彼は中東のイラン出身の独身男性で、語学学校を修了したらそのまま経済学の修士課程に進み、ゆくゆくは大学で教鞭を取るのを目標としていました。
非常にフレンドリーで、誰とでも分け隔てなく接する、とても親しみやすい人でした。私も彼とすぐに打ち解けました。そんな明るく性格のいい彼なので、彼が実は深刻な事情を抱えているとは、誰一人予想していませんでした。
語学学校の最終試験が近づいていたある日の授業終わり。イラン出身の彼が教室に入ってきました。「また来週ねー!」と、声をかけようとした時、彼の様子がいつもと異なることに気がつきました。
いつも優しくてフレンドリーな彼が、その時は苛立っていて無口で、声をかけるのを躊躇いました。その日は彼に話しかけずに軽く挨拶をしてみんなで教室を出ました。月曜になればいつもの彼に戻っているだろうと、みんなで話しながら、その日は街へと向かいました。
次の週に事務手続きで大学の留学センターに行く用事ができたため、授業の合間にセンターに向かいました。いつもお世話になっている留学生担当の事務員さんと世間話をする中で、金曜日に見た彼の態度の理由を知ることになりました。
留学生担当の事務員さんは私と彼が同じクラスだと知っていたので、彼の様子が心配になり私に相談してきたようです。イラン出身の彼は、修士課程に進むために語学学校に入学したのですが、実はある深刻な事情を抱えていました。
もし最終試験に合格できなかった場合、母国であるイランに帰国させねばならず、その上、国の軍隊に徴収させられるとのこと…。
自分の夢を諦め、過酷な軍隊に入隊して国のために戦うということは、皆さんの想像の通りです。過酷な現場で、命をかけて国のために戦うことを意味します。(ここでは2016年当時イランの情勢については割愛します。)
担任の先生はその事情を知っていたようです。世界の様々な国の留学生と一緒に勉強することは、その人たちのバックグラウンドや歴史的、文化的な事情を目の当たりにすることもあるという事実を突きつけられました。
また、彼の将来を自分たちにはどうすることもできないことに歯痒い思いをしました。留学している留学生の中には、過酷な条件下でニュージーランドに来ている人もいることを実感した出来事でした。
幸い彼は最終試験に合格し、見事ビクトリア大学の経済学修士課程へと進学をしました。
一緒に学んだ友人が夢を掴むために前進したことは本当に嬉しかったし、深刻な事情を知っていた分、本当に安心したのを覚えています。
もちろん、日本の大学の講義や授業の中でも世界で起きている紛争や戦争、経済、宗教についての問題は扱われます。日本国内からでも、自分の知識や価値観は広げることは可能です。ですが、どこか他人事のような感じがあるのは否めません。
留学先でリアルにその問題に直面している仲間に出会ったことで、世界で起きている問題を直視し、とにかく自分のことのように悩みました。
留学を通じて、このような貴重な体験ができたことに、留学することの真の意味があるのだと、自信を持って言い切ることができます。
【まとめ】留学と異文化交流の関係
今回は、自身の留学で経験した本当の異文化交流のエピソードを2つ紹介しました。率直に、この2つのエピソードを聞いて、皆さんはどう思いましたか?どう感じましたか?
私が胸を張って言えることは、一人でも多くの人について知り、リスペクトし共感をする心を育てられることが、留学の醍醐味だということです。
留学先で人に出会うことは、まだ知らない世界を知り、その上で自分とは異なる何かを学べる機会が得られるということです。
人それぞれ経験内容は異なりますが、それぞれ留学先で濃い経験をしているのだから、帰国後は何だか輝いて見えるのだと思います。
実はまだまだ、留学中に体験した異文化交流のエピソードがあります!
皆さんに是非知って頂きたいので、次回に後編として異なるエピソードを紹介していきたいと思います。どうぞ、お楽しみに!