YOUは何しに留学へ?留学後はみんな何してる?編
今回は、「留学前に描く未来予想図とリアル」と題して、転職検討中の方へ向けて執筆します。
日本では何回も転職して履歴書に沢山の企業名が載ると、長続きしないヒトの烙印が押され、ネガティブな印象になりがち。
しかし、海外では真逆で複数の企業名があると、様々な経験があり色んな事が出来るヒトというポジティブな印象になります。
捉え方が全然違うんですよね、ここがまた面白い!しかし、大半の日本人は留学して英語力を身に付けた後は、日本でキャリアアップという将来像を描いているでしょう。
私もそうでした。日本と海外を行ったり来たりして給料も中の上くらい貰って、そこそこいい生活するみたいな。
けど、「本当に留学したらそんな生活になるのかな?」とか、まだそこまで具体的なイメージが描けない、目標が無いという方も多いのが現実。
安心してください。「留学に来ている周りの日本人も同じです!」とりあえず留学しに来た、でいいんです!一歩踏み出してる自分を誉めましょう。
そして、留学中に日本では決して出会う事のなかった人たちと沢山話して、情報共有して自分の未来の選択肢を増やし、熟慮し行動につなげるきっかけになるかもしれません。
しかし、アナタの周りにフィリピン留学経験者が多くないのも現実。そりゃそうです。いつもと同じ生活パターンを繰り返していれば、新しい出会いも刺激もありません。
となると、留学後の具体的なイメージが描けないという声が多々ありましたので、前回に引き続き今回も留学を通して、新たな人生の舵を取ったYOUたちを紹介します。
このご時世、直接面と向かって話すのも勿論重要ですが、SNSを利用し効率的に情報収集していきたいものです。
効率的に動き情報強者であれば、少しは自信を持って判断できるでしょう。
JICA隊員になりたいYOU
・ニックネーム
SHO
・留学期間
15週間
・留学コース
ESLコース(ネイティブ講師1コマ含む)
・留学前の経歴
婦人服飾雑貨メーカー営業2年 → 消防士3年 → カンボジアにてNPO2か月
・留学前の英語勉強歴
英語力のピークは中学時代。高校では野球に没頭し過ぎて、英語に一切触れず下降するのみ。
大学では第一外国語が英語選択者に必須なTOEIC受験を回避するためという思慮の浅い理由で、第一外国語をスペイン語に変更したほど、英語を回避しまくってきた。
・留学目的
カンボジアでのボランティア活動中に「自分に出来る国際協力とは何だろう…。」と考えた末にJICAボランティアで野球指導の隊員に応募する事を決意。
JICA応募にはTOEICスコア提出が必須であり、そのタイミングで「フィリピン留学がアツイ!」という趣旨の書籍を読み留学を即決。
・留学中の行動
OKEA到着日に韓国人や台湾人の仲間と全く話すことが出来ず、「現地に行けば何とかなるだろう。」と事前に全く勉強をせずに乗り込んだ自分を心底後悔…。
最初はデタラメな英語を話すことが恥ずかしく、日本人の友達の後ろにくっ付いて行くばかり。
しかし、そんな事ではイカンと一念発起し、自習室で夜1時過ぎまで基本的な予習と復習に時間を費やし、日本人以外のスクールメイトやフィリピン人講師達と積極的に会話を続けました。
そんな留学生活が一か月半過ぎた頃に自分の意思は伝えられる最低限のコミュニケーションが取れるようになっているようになり、徐々に英会話の楽しみを実感してきました。
この頃、OKEA近くにある国際NGO団体OISCAにて現地の職業訓練生にソフトボールを指導する機会があり、「外国語で指導する難しさ」を痛感。
また、野球後進国であるフィリピンでは、まともな用具も揃うことさえ困難。バットが無いので代わりに木の棒を使ったり、サンダルで練習したりといった環境。
先進国である日本のスポーツを取り巻く環境の良さにも実感させられた瞬間でもあります。
日本で学校に通っていれば何かしらの部活に所属しなければならないのが日本の教育文化です。しかし、海外では部活は完全自由参加で、部活動の絶対数がそもそも少ないのが現状です。
留学中に話した韓国人からは、「何で日本の学校はそんなに部活中心で回っているの?何でそんなに頻繁に大会が開催しているの?韓国ではもっと学業中心なんだよ。」とのこと。
こんな話をしている時にも文化の大きな違いを感じさせられました。この時、英語力の前に自国のことさえ正直上手く答えられない自分がいました。
・留学後と現在
JICA日系社会青年ボランティアの野球隊員に無事合格し、英語と無縁の南米アルゼンチンに2年間派遣される。
スペイン語の習得に必死で、折角学んだ英語に上書きされて、再び英語力ゼロ状態に。
今では英語を話しているつもりでもスペイン語が無意識に混同してしまう点が悩みの種です…。
アルゼンチンから帰国後は、プロ野球・読売ジャイアンツの子供向け野球スクール事業「ジャイアンツアカデミー」のコーチを務めています。
幼児から小学校6年生までを対象に、日々野球の楽しさを伝えています。
今後の夢は、ジャイアンツ球団のスペイン語通訳になる事。スペイン語だけでなく英語力もキャリアアップには必須であり、2言語のレベルアップに邁進中です。
ワーホリからフィリピン留学に来たYOU
・ニックネーム
KAZU
・留学期間
12週間
・留学コース
ESLコース
・留学前の経歴
30歳で初めてワーホリを知り、オーストラリアに2年間滞在。
・留学前の英語勉強歴
本格的な勉強一度も無し。学校の英語の授業も極力回避してきた。
・留学目的
オーストラリア滞在中に英語が流暢な日本人シェアメイトがいたことがキッカケ。
彼がOKEA卒業生で、バコロドでの留学は落ち着いた環境で日本人も少なく、更に価格もセブより安いと勧めてくれました。
日本に帰国したら、必ずOKEAで真面目にガッツリ勉強しようと思いました。
・留学中の行動
留学中は極力、日本人と話さず、遊びに行くのではなくフィリピン人講師と積極的に外出して英語漬けの環境に身を置いていました。
放課後や週末は、「正確な英語を聞くため」にとにかくフィリピン人講師と飲みに行ったり、色々な離島にも旅行したりしました。
授業内外でも自分の間違った文法や言い回しなどを直してくれる講師達には、本当にお世話になりました。
また、クリスマスに田舎の村で毎年開催されるボランティア活動に参加したり、講師の実家で年越しを過ごしたりとローカルな部分にも触れることで、リアルなフィリピンも楽しんで過ごしていました。
上記で述べたようにOKEAでは、講師達との授業外交流が自由なんです。
多くの学校では「生徒と特別な関係になってしまう。」ことを懸念して、授業外交流が不可であったり、申請が必要であったりするのが通常です。
そんな面倒な事や規制が無く、講師との交流の自由度が非常に高いことが、私にとって非常に居心地の良さを感じさせてくれました。
・留学後と現在
OKEA滞在中に多くのフィリピン講師やスタッフの出会い、バコロドの街の様々な人々の繋がりに感謝しております。本当に日本人の少ないエリアを選んで良かったと感じています。
そして、卒業後も毎年末に開催されているボランティアには今でも継続して参加しています。このボランティアに参加するためだけに、年末はバコロドに帰省する感じですね!
このボランティアですが、今まで経験したことがありませんでした。村の人々と子供たちと触れ合い表情を見て、同じ時間を共有している時に何とも言葉では表現できない感情が湧いてきて、自分の中で完全にハマった感じです。
この感じというのは、スマホから画像や動画では感じる事の出来ないコトです。これに関してたまたま私はハマったのですが、人によっては勿論一つの経験として蓄積させるコトかもしれません。
けど、それでいいと私は思います。結果的に子供たちにその瞬間、小さな幸せを感じてもらう事が出来るから。もうあの笑顔、表情は忘れられないから、毎年行きたいと強く思うんです。
バコロド渡航時には講師達に再会して留学中の時と変わらず飲みに行ったり、離島へ旅行したりしてます。
ちょっとした縁がきっかけでOKEAに留学して、「イイ出会い」があり、そこからバコロドに移住したいという夢も出来ました。
現在では、2020年10月にバコロドで語学学校開校を目標に今動き出しています。
大学休学して来たYOU
・ニックネーム
WATARU
・留学期間
28週間
・留学コース
ESLコース
・留学前の経歴
大学休学中
・留学前の英語勉強歴
オーストラリアに一か月のホームステイで何とか意思疎通できるレベル。
・留学目的
テレビとかを漫然と見ながら、
「あぁー、俺も長期留学とか行ってみたいし、英語喋れるようになったら何か格好いいな…。」
と、思うようになり人生やりたい事やらなきゃ損!という気持ちで大学2年の時にオーストラリアホームステイを決めました。
しかし、英語で内容のある話が全く出来なかったことが本当に悔しくて悔しくて…。
その2年後、コスパがよく長期で留学行ける所を探し、大学を休学してフィリピン留学に辿り着きました。
・留学中の行動
留学中は、ルームメイトの韓国人の友達と毎日のように遊んでいました。お互いに長期での留学ということもあり、家族のような存在に。
先生たちとも飲みに行ったり旅行したりと、充実した日々を過ごしていました。
授業中は文法や発音などの真面目な勉強と、先生との雑談が半々といった感じです。
自習室では人より多く勉強した記憶はありませんが、授業の予習と復習は必ず行っていました。中でも先生との雑談は、本当に役に立ったと感じています。
自分と同じ英語レベルの友達と話していても、新しい言い回しや表現など中々増えないものです。
思いがけず新しい発見がありました。
このような留学生活を過ごしていった結果、自然とTOEICの点数も上昇していき860点に!
学内ランキングでも2位を取る事が出来ました!
ただただ毎日がハッピー過ぎて、日本に帰ってからは逆に喪失感が凄まじかったのを覚えています…。(笑)
・留学後と現在
OKEA卒業後は、帰国せずそのまま同じ市内にあるJasonという英語学校で1年間日本人マネージャーとして働いていました。
OKEAからのオファーも頂いていたのですが、個人的には新しい挑戦をしようと意気込み、異なる学校で働く選択を取りました。
卒業後もOKEAの先生やスタッフとは仲が良く、そして新しい職場ではビジネス英語を学ぶことができ、とても良い有意義な時間を過ごし経験となりました。
帰国後は、今まで以上に世界に目が向くようになり何処でも使えて腐らない技術を身に付けようとプログラミングを勉強し、ITベンチャーに就職しました。
最近、そのベンチャー企業から英語が必須である有名大手企業に転職し、英語も使いながら日々楽しく働いています!
やってみたいという強い好奇心を持ち、何事も挑戦する事で、とても楽しく、人生のかけがえのない経験を目一杯増やすことができました。
【考察】今を一生懸命に生きると光が見えて来る!
今回ご紹介した三人に共通することをまとめると、以下のようなことになります。
留学を終えてから著しいTOEICスコアの伸びが無かったとしても、自分の今やりたい事を見つけそこに向かって動き次の行動に繋げて行ってます。
長期的なプランは具体的には決めず、目の前のやりたい事を全力で取り組むことで自分の中で何かが見えてきて、そこにまた全力で取り組む。
その繰り返しにより、充実した生活を過ごせているように見えますね。
この三人は動き続ける事で新たなヒトとも繋がり、自分の人生の道を切り開いているようにも見えます。
確かに日本に住んでいると「本当に年金貰えるんだろうか、年配になったときに仕事はどうなるのか、何歳まで自分は働かないとならないのか…。」
などなど色んな不安が浮かんできます。だから、とりあえず今の生活が安定していて、最低限以上の生活は過ごせているからこのままでいよう。
もちろん、この考えも否定はしません。
ただ、ちょっと変わったエリアに留学、もしくは海外に旅しているヒトと出会い、話しをすると様々な考えに触れられ、今まで自分の中には無かった選択肢が出てくる事もあります。
それが旅の醍醐味の一つでもあり、もしかしたらアナタが無意識的に探していた「何か」かもしれません。
私がOKEA日本人マネージャーを三年間していて多くの学生と触れ合いました。実はその中で、十代の男子学生と、三十代の女性二人が留学後、日本で生活している時に亡くなっています。
一般的な考えでは、あと50年以上は旅をし、恋をして結婚し家族を持ちたかったことでしょう。本当に本当に悔しくて無念だったんだと。
けど、多くの人々は「死」を意識して生活してないのが普通です。そして、このことが伝わりづらいのも理解しています。
しかし今言ったとおり、私たちはいつ死ぬかわかりません。
だからこそ一度きりの人生、やりたい事をやって生きたいと私は強く思います。
堀江貴文さんが近畿大卒業スピーチでこのように言っていました。
「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ。」