なかなか減らないフィリピンのコロナウイルス感染者!ロックダウンから1ヶ月経過したフィリピンを振り返る
こんにちは。フィリピン留学のかわけんです。
このコラムを書いているのは4月下旬ですが、フィリピンは3月中旬にロックダウンが開始してから1ヶ月以上が経ったことになります。
日本と違うのは「外出を控えましょう」という「要請」でなく、「外出したらダメ」という「命令」であるということです。
つまり、違反をすれば捕まります。
ロックダウンが開始した時の状況、それに伴って日本に帰国した人たち、延長が決まったロックダウンなど、ロックダウン開始後の1ヶ月について、身の回りの出来事を中心に振り返りたいと思います。
突然始まった「ロックダウン」
始まりは文字通り「突然」でした。
3月13日(金)よりバギオ市内全ての小中高・大学の授業が中止になるとバギオ政府よりアナウンスがなされました。
ちなみにこの通知がなされたのは前日の3月12日(木)でした。
このようにロックダウン開始直前・開始後は、フィリピン政府から突然のアナウンスがなされることが多々ありました。
3月13日からの授業停止に関するアナウンスの他に、この時は「首都マニラ封鎖」や「空港閉鎖」など様々な情報が錯綜していました。
ほぼ何の前触れもない突然のアナウンスであったため、フィリピン人の先生やスタッフも含め、多くの留学生も混乱しました。
そして、さらに大きな動きがあったのが週末を挟んだ3月16日(月)でした。
ドゥテルテ大統領より、マニラやバギオを含むルソン島全域における移動制限等の通知がなされました。
いつから開始か?それは、翌日の3月17日(火)という急さ。いわゆる「ロックダウン」の開始でした。
これによりジプニーなど公共交通機関のストップや、外出も原則禁止で大きく人の移動が制限されました。
フィリピンでは知らない人がいないであろう大型ショッピングモールの「SMモール」も3月17日(火)より薬局等の一部を除き閉店となりました。
フィリピンを知っている人は、「あのSMモールも閉店したの?」と驚いていました。
この時は自分たちの状況でいっぱいいっぱいで、他の国の状況を気にする余裕もほとんどありませんでした。しかし、この3月中旬という時期は、様々な国や地域がロックダウンやそれに近い措置を開始した時期でした。
突然のロックダウンでしたし、誰もが経験したことのない状況だったので、この1週間が1番慌ただしく動いた1週間でした。
多くの日本人留学生が帰国へ
3月17日(火)より始まったロックダウンによって、多くの留学生に影響が出たということは言うまでもないでしょう。
緊急事態であるから仕方ないのですが、政府からのアナウンスは急なものばかりでした。
その一つに「72時間以内の出国要請」というものがありました。
今振り返っても、これもなかなかインパクトの強いものだったなと感じます。
これは何かというと、「3月17日(火)の深夜0時から72時間以内に出国しなければ、当分の間出国できなくなりますよ!」というものです。
結果的にこの内容はのちに緩和されて、72時間を経過した後も出国できるようになりました。
早めに外国人を出国させる目的があったのかどうかなど、そのあたりの政府の意図まではわかりませんが、この突然の出国要請により多くの外国人は急遽フィリピンから出国しました。
当時、どこの語学学校にも多くの生徒が在籍していましたし、その中には日本人生徒もたくさんいました。
大学の春休みを利用して留学していた人、仕事を退職して留学していた人など様々な留学生がいました。
いつロックダウンが解除されるのか、いつ通常通りの授業が再開されるのか、コロナの影響は改善していくのか悪化していくのかなど、誰も今後の見通しを立てることができない状態でした。
そういった不透明な状況であったこともあり、日本人含め多くの生徒は帰国という選択をしたのでした。
私の周りには語学学校の生徒以外にも、ビジネスの一環としてフィリピンに滞在していた人もいましたが、その人たちも急遽帰国をしました。
フィリピン留学後は、ワーキングホリデーや留学等でカナダやオーストラリアなどで違う国へ渡航する人も多いです。私の友達でもそういった国に滞在していた人が多いんですが、多くの友達が急遽日本に帰国をしました。
私もそうでしたが、留学やワーキングホリデーって人生の中でも大きな決断だと思います。
大学生であれば休学をした人もいるでしょうし、親を説得するのに苦労した人もいるでしょう。
社会人にとっては、仕事を退職して海外に飛び立つ選択肢は簡単ではなかったはずです。
だからこそ、今回の新型コロナウイルスの影響で留学を中断あるいは断念せざるを得なくなり、悔しい思いをしている人は大変多いと思います。
「ロックダウン」の期間延長
3月17日(水)に始まったロックダウンは当初の予定では4月中旬までの1ヶ月間の予定でした。
その後、ドゥテルテ大統領からロックダウンの延長が発表されたのが4月7日(火)でした。延長期間は「4月30日(木)」まで。
大統領のアナウンスがあったこの時は感染者の数が増加を続けていたので、多くの人が心の準備ができていたと思います。
私の周りのフィリピン人の友人も「そうだろうね…。」といった感じで驚きはありませんでした。
4月30日(木)までのロックダウン延長が決まったことで、合計1ヶ月半外出ができないことになりました。
日本の場合は「緊急事態宣言」が発令されてはいますが、あくまで「要請」であり法的拘束力がないのが特徴的です。
つまり、外出しても捕まることはありません。しかし、フィリピンの場合は「命令」なのでルールを破れば逮捕されます。
「外出禁止」というのは文字通り「禁止」であって、本当に外出ができません。
食糧や生活必需品を販売するなど、一部営業が認められている店舗もあります。また、政府から配布される外出許可書を持参すれば、決められた範囲内で外出することができる人もいます。
これもまた、日本と異なるんですが、フィリピンには「門限」が設定されています。
私の住むバギオは門限が21時に設定されているので、普段24時間営業のセブンイレブンも20時までしか営業していません。(従業員が21時までに帰宅しなければいけないので、営業は20時まで)。
外出の禁止、出来たとしても門限が設定されているなど、なかなか日本ではできない体験をしています。
このような状況ではありますが、今のところ私の住むバギオでは一部の地域で見られるようなロックダウンの反対デモはありませんし、外出禁止等の違反者もさほど多くはありません。
ちなみに違反者の写真は、モザイク付きで公開されています。
コロナ対策で「禁酒令」
ロックダウンの延長がアナウンスされたのが4月7日(火)でした。
それから数日後にバギオでは「ある政策」が新たに導入されました。それは、「リカーバン(Liquor Ban)」です。
要は、お酒の販売禁止ということです。日本では考えられないですよね…。
この「リカーバン」はフィリピン国内でも都市によって導入時期が異なっていて、セブでは3月16日(月)から、マニラでは3月30日(月)から既に適用されていました。
この「リカーバン」適用の理由の一つは、健康面への配慮だそうです。
アルコールの摂取により抵抗力が低下して、肺炎や呼吸器疾患に罹患することを防ぐためということです。
そういう理由があるにしても、唐突でした。日本とは全く異なるルールや決定プロセスが踏まれていくのが海外です。
これも初めての経験でしたのでビックリしました。
アナウンスが突然だったので、まだ販売しているんじゃないのかな…と淡い期待を抱いてすぐ近くのセブンイレブンに行ってみました。
残念ながらすでに販売が中止されていました。
ロックダウンが終了するまでは、この「リカーバン」は続く予定とのことです。
家でフィリピンのビールを飲みながらのんびり過ごすのが楽しみの一つだったので、残念ですが我慢します。
2度目の「ロックダウン」延長
4月中旬までの予定だったロックダウンが4月30日(木)までに延長されたのが、いわゆる「1度目のロックダウン延長」でした。
さらに、ドゥテルテ大統領から4月24日(金)にアップデートがありました。
結論からいうと、5月15日(金)までの延長ということになり、これが「2度目のロックダウン延長」ということになりました。
アナウンスがされた4月24日(金)時点では、私の住むバギオは少し特殊な状況下に置かれていました。
というのも、首都のマニラなど「ハイリスク」とされている地域は5月15日(金)までの延長が決定されていました。しかし、いくつかの地域に関しては、最大で4月30日(木)まで状況を観察してから、変更の可能性があるということになっていました。
バギオはそのいくつかの地域に含まれていて、4月30日(木)以降ロックダウンが解除、あるいは緩和される可能性が残っていました。
しかし、残念ながら数日後にバギオも5月15日(金)までのロックダウン延長ということが決まりました。
理由の一つとして考えられるのは、やはり感染者数の増加です。
バギオはまだ感染者の爆発的な増加は起こってはいませんが、医療機関で複数のドクターやナースが感染するなどのケースが見られています。
したがって、ロックダウンが開始した3月中旬までさかのぼると、合計で2ヶ月間ロックダウンが続くということが現時点で確定しました。
ロックダウンする(日本でいう「緊急事態宣言」も含め)ということは経済状況に大きな影響が及ぶことは、今現在このコラムを読んでくださっている方を含め多くの人が体感していると思います。
フィリピンも当然そうで、貧困層の人々など影響は既に出てきています。ロックダウンによる経済的困窮など、二次的な影響が最小限になることを願うばかりです。
なかなか減らない感染者
3月中旬にロックダウンを開始してから、感染者数は減少したのかというと、そうではないのが実情です。
とは言え、可能性の話をしてしまえば、ロックダウンをしていなかったらさらに人数が膨れていたかもしれません…。こればかりはまだ現時点ではエビデンスに基づいたロックダウンの効果を説明することはできません。
以下、Worldmeter(https://www.worldometers.info/)のデータを基に、簡単に感染者数を振り返ってみます。
ロックダウンが開始した3月17日(火)時点では累計感染者数が「187人」でした。
それが、3月31日(火)には「2,084人」。4月15日(水)には「5,453人」。
そして、4月28日(火)時点では「7,958人」になっています。
つまり、ロックダウン開始以降の1ヶ月半で7,000人以上増加したことになります。
地域別での状況や検査数、人口など様々な要素が絡んでくるので、国別の単純な比較は難しいですが、参考として日本と比較してみます。
日本とフィリピンで差が開き始めたのが4月に入ってからで、日本の感染者数は僅か1カ月で2倍にまで開いてしまいました。
どちらがより深刻かといった話ではなくて、このコラムを読まれている方の中にはフィリピン留学を考えていて、フィリピンの状況を知るために見てくださっている方もいるかと思います。
フィリピン(1億98万人)と日本(1億2,000万人)の人口はそこまで大きな差はないことを考慮しても、この数字を見る限りフィリピンの厳しいロックダウンの効果と言えるのかも知れません。
これからの1カ月延長されたロックダウン期間で、日本とどれだけの感染者数の差異が出るのか注目していきたいと思います。
【まとめ】 本当に激動の1カ月だった…
以上、このコラムでは「ロックダウンから1ヶ月経過したフィリピンを振り返る」をテーマに書かせてもらいました。
内容をおさらいします。
今、このコラムを書きながら私自身もロックダウン後の1ヶ月を振り返っていたのですが、改めて「激動の1カ月」だったなぁ…と感じています。
「あっという間だったなぁ…。」という気持ちと、色々あったけど「1ヶ月しか経ってないのか…。」という気持ちの2つがあるのが今の心境です。
ロックダウン直後からフィリピンのコロナウイルスの状況を書き続けていますが、1ヶ月を経過したこともあり、一度ここまでの経過を振り返るためにもこのコラムを書かせてもらいました。
今後フィリピン留学を予定していて、近況をチェックしている方もいると思います。今後も引き続きフィリピンのコロナの状況を書き綴っていきますので、フィリピン留学検討中の方はチェックしていただければと思います。
このコラムの他にもYouTubeでも逐次状況をアップデートしていますので、こちらもあわせてチャンネルをご覧いただければと思います。