アメリカで出会った他人は日本人よりも社交的だと感じるエピソードを紹介
アメリカに来てから本当によく思うのが、「他人ってなんだろう?」っていうこと。
哲学的な話ではなくて、日本での他人とアメリカの他人は、凄く違うと思うからだ。
例えば、日本で電車やバスに乗っていて、自分の隣に座った人と会話を交わすことがどれだけあるかと言えば、自分の場合は100回に1回。
社交的で優しそうなおばあちゃんに「席を譲って」やっと少しの会話に発展するぐらいだった。アメリカに来る以前、自分は東京や横浜といった都会にいたから、余計に他人と自分を割り切っていたのかも知れない。
だけどその100回に1回の会話も、自分が席を譲るという行為をして、やっと起こったことだった。他の99回席を譲っていないかというと、そういう訳でもない。少なくとも20回は譲っている。だけど会話になんて発展しなかった。
何が言いたいかというと、日本では他人とあまり会話することが無いということだ。
だけど一度日本を出て、アメリカにすら着く前の空の上で、隣に座っていた中国人のおばちゃんと凄く仲良くなった。
その時、自分は英語を全くと言っていいほど話せず、おばちゃんも英語は得意ではなかった様子だった。
だけど、身振り手振りでなんとかコミュニケーションはとれるもので、窓から見る朝焼けが凄く綺麗で、2人でニコニコしながら見たのを未だに覚えている。
アメリカを含めて欧米の人々は割とそんな感じで、知らない人からでもガンガンコミュニケーションをとってくる。
もちろんそれは、自分が出かける先々でシャッターを押して下さいと頼まれるタイプの人間というのもあるだろうけれど、やっぱり日本人よりかなり社交的だ。
今回は、今まであった数多くの他人さん達との触れ合いの中で、心に残っているものを紹介したい。そこからアメリカの雰囲気や人柄が少しでも伝わればと思っている。
タトゥーの人
日本でタトゥーは未だにマイノリティ寄りだし、どこかネガティブなイメージがある。
それはヤクザ(ちなみにヤクザは英語でもyakuza)から由来しているものだから、仕方ないと言えば仕方ないと思う。同じくギャング文化、そして兵隊やヒッピーといったネガティブではない文化も根底にあるのが、アメリカのタトゥー。
今では全然タブーではなくて、高校の時の学校の先生も、何人もタトゥーを入れていた。それでその先生が、これからタトゥーを入れようとしている生徒とどこの場所に入れると痛いだとか、何を入れようかとか、そんなことを授業が始まって10分ぐらいは話していた。どれぐらいタトゥーがアメリカで身近なものか分かってもらえるだろう。
今回紹介するこのタトゥーの人は、高校2年が終わってから夏休みに日本に帰国する便で、隣に座っていた。
彼女は20代くらいの白人の若い女性で、華奢な体格だった。10時間以上の長いフライトでも最初の8時間以上は話さなかった。それからトイレのために席を立ってもらったタイミングで、日本には何をしに行くのかだとか、アメリカのどこから来たのかといったことを話し出した。
そこで彼女は海軍に所属していて、成田から沖縄に行くということだった。緊張していて、だけど興奮している様子だったのを覚えている。
話出してから気付いたのだが、彼女は腕や脚に沢山のタトゥーを入れていた。その頃までにはタトゥーの免疫がそれなりにあったから、特にタトゥーに驚くことはなかった。沢山のタトゥーの中で、何故か一つだけ目を引いたものがあって、「これは何て書いてあるの?」と聞いてみた。
彼女は見えかけていた左腕のタトゥーを指刺して、”Life is a beautiful struggle. (人生とは美しいもがきである。)”と言った。なんだかこの言葉がずーんと心に響いたから、何でこの言葉を入れたのか聞いてみた。すると彼女は丁寧に教えてくれた。
「ある朝目覚めたら、その瞬間にこの言葉が降ってきたの。だからベットから出てすぐに準備をして、すぐにこれを入れにいったの。なんで、どこからこの言葉が来たのかは本当に分からないんだけど、今でも凄く気に入ってる。これって本当のことだと思うの。」
この一つのエピソードって、彼女の人柄が凄くよく現れていると思う。彼女は凄く行動力が普段からある人だから、朝起きてすぐにタトゥーを入れにいこうと行動できたんだと思う。何よりそんな深い言葉は、いつもから自分と向き合って、深いところまで頭を使っていないと浮かばない。
自分だったらそんなすぐに行動出来なかったと思う。朝起きて1番最初に浮かんだ事は、1番正直な気持ちだというのも聞いたことがある。もしかしたら彼女はその前の日に、何か辛いことがあって、もがいていたのかも知れない。詳しい事は流石に聞けなかったけれど、色々な思いがあって降りてきた言葉だということは分かっていた。
彼女とは飛行機内で他愛もない会話を続けた。そして無事日本に到着すると、「これからの夏休み楽しんでね!沖縄で頑張ってね!沖縄そば食べてね!」とさよならをして別れた。
連絡先などは交換してなかったので、彼女が今どうしているかは分からないが、元気にやっていることを願っている。
実はまだ話には少し続きがある。それはそれから1年後の高校卒業、卒業アルバム制作
があった時。アメリカの高校では、quoteといって1人1つの文を、どこからでも引用してアルバムに載せるというもの。
友達や先生は、絶対自分はマイケルジャクソンの歌詞や言葉から引用するだろうと思っていじってきたが、どうしても忘れられなかった”Life is a beautiful struggle”という言葉を、”A tattoo of a stranger who was sitting next to me on the airplane. (飛行機で隣に座っていた人のタトゥー。)”という引用元と一緒にアルバムに載せてもらった。
ダンススタジオの人
ここロサンゼルスには、有名なダンススタジオが揃っている。日本からも本当に沢山のダンサー達が、そこに学びにやってくる。もちろんヨーロッパなど本当に世界中から人が集まってくる。たまに英語よりも日本語の方がスタジオで聞こえてくる時もある。
それ程大きくて有名な大体のスタジオは、アプリを入手してクレジットカードを紐付けておくと、先払いという形でクラスを予約できる。昨日、いつも通りレッスンを受けようとMillennium Dance Complexのカウンターで予約した後のチェックインを済ませていた時。余裕をもってレッスン時間よりも早く着いたため、まだあまり混んでいなかった。
暇だったのか、突然カウンターのスタッフの人が、”Tell me one thing that you learned today. (今日学んだことを一つ教えて。)”と言ってきたのである。もちろんそんな事を他人から、しかも突然言われたのなんて初めてだったので、少し返答に戸惑った。
だけどふと出た答えが、”It’s hard and important to keep right distance from people. You can’t be too close or too far. (人とのいい距離感を保つのって大変で大切。近すぎても、遠すぎてもいけない。)”と言った。正直自分でも何でその言葉が口から出たのかは分からないし、何か特別な出来事がその日に起こった訳でもなかったけど、ふと思ったのがそれだった。
詳しく書く事はしないが、今思い返すとそれに当てはまることも割とあったりするから不思議なものだ。そうしたら、それを聞いていた他のスタッフの人も、「深いねぇー!ホントそうだよね!」とか言って一緒に盛り上がった。これってまた、アメリカらしいところだなぁと思った。
まずそんな質問を他人に投げかけようと思う日本人がどれぐらいいるだろうか?自分だったらまず思いつかない。こういう他人への興味とか、自分の疑問をしっかり持っているのって、ここの人の素敵なところだと思う。
そんなことを聞かないで、さっさと受付を済ませて同僚と話すことだって出来たはずなのに、ちょっとそんなことを聞いてみようっていう遊び心、大切にしないとなと思う。
そして自分が返した答えに大してもしっかり反応して、共感してくれるのもこの土地らしいところ。例え歳下の知らない男の子が言ったことでも、素直にそうだよね、と思うことって意外と簡単にみんなが出来ることじゃない。
自分がどんな立場であろうと、相手の意見をしっかり尊重してくれる、アメリカらしい出会いだった。
スニーカーショップの人
「アメリカと言ったらスニーカー!」というスニーカーヘッズの人も少なくないんじゃないだろうか。古くはコンバースやアディダス、有名なジョーダンをはじめバスケットボールの盛んな国だし、スニーカーと関わりが密なヒップホップもやっぱりアメリカが本場である。
だから街のショップは東京原宿と同じか、それ以上に盛り上がっている。だから高校にいる時から買う用事がなくてもスニーカーショップにはよく立ち寄っていた。
ある時、いつも通りショッピングモールに行ってスニーカーを見に店に入ると、心なしか店員さんからの目線を感じた。変なこともしていないし、何か服についているのかな、とそわそわしていたら、黒人の店員さんが「いいアウトフィットね!有名人かと思ったわ!」と白い歯を光らせてニコっと笑いながら話し掛けてきた。
特に意識せずに、気分で選んできた服だったけど、確かに今思うと少し派手だったかなと思いつつ、スニーカーを見ていた。そうしたら店のBGMに聴き覚えのあるドラムビートがかかっていた。
ここでもやっぱりマイケルジャクソンが流れていた。気付いたら自分の脚が軽くステップを踏んでいて、はっとした時にはもうさっきの店員さんに見られていた。(笑)店員さんは、「やっぱり何か凄い人だと思ったのよ!」と褒めてくれて、気付いたら数分話し込んでしまっていた。
これもまたアメリカらしい出来事だと思っている。アメリカではよく、通りすがりの知らない人にも靴とかサングラス、服なんかを褒める人が多い。そういう小さい幸せをもらうと、こちらもいいシャツだなと思ったら伝えたくなる。
きっと今の日本で、電車で隣に座っている人に向かって、「かっこいい靴ですね。」なんて声をかけたら不思議がられると思う。このフレンドリー、オープンなところは本当に日本にもあればいいのにな…と思う。
服装を褒められたのは、この時だけじゃなくて、何回かあった。一度ベロアのシャツを着て店に入っていったら、「手触り良さそうね!触っていい?」なんて言って手を伸ばされたこともある。これにはちょっと驚いたが、このユニーク(というか変)な服装を理解、評価してくれるのは本当に嬉しかった。
アメリカで着ていて、友達や周りの人が褒めてくれた服装を日本で着た時だ。自分では奇抜になろうと思って服を選んでいる訳ではないけれど、どうも日本の友達や家族は奇抜だと思うらしい。
母には、「その格好では一緒に出掛けたくない。」と言われ過ぎて、もうなんとも思わなくなってしまっている。
日本のファッションは、流行やみんなが思う「普通」に囚われ過ぎて、みんな同じ格好をしているように見える。一部の人は、そこから外れてしまうのを恐れてメジャーな方に寄せていっている気がする。
そんな環境はやっぱり息苦しいなと思うし、日本でもみんなと違うことを受け入れられるようになればいいなと思う。
ずっと見てた人
正直、ここまで会えると思っていなかった人はいない。そのぐらい驚いた。
ロサンゼルスについて2週目ぐらいの時、Jete(ジェテ)という毎月行われるダンスイベントがあるということを、レッスンを受けた先生が教えてくれた。ロサンゼルスではもちろん、大小問わず沢山のダンスイベントがあるが、アメリカのダンスイベントはおろか、日本のダンスイベントでさえもあまり行ったことがなかった。
来てまだ間も無く、誰かと行くというのも少し面倒だったのもあって、どんなものかと思って試しに1人で行ってみた時のこと。何を着て行けばいいかすら分からず、とりあえずマイケルジャクソンのジャケットとスカーフをつけてUberを呼んだ。
会場のクラブには少し早く着いたので、外の列に並んでいたら、自分の前に並んでいた40〜50代くらいの女性がマイケルジャクソンのジャケットを褒めてくれた。
「でも何でマイケルなの?」と聞いてきたので、自分はマイケルジャクソンが大好きでダンスを始めて、スムーズクリミナルのビデオを観てから本当に虜だという事を伝えた。すると女性はニコっと笑って、「私、そのビデオに出てたのよ。」と言った。
その瞬間、彼女がどの人か分かった。ビデオの始まりで、扇を仰いでいる緑のドレスを着たアジアンの女性だった。正直、今でも信じられない。今まで10年間、死ぬ程見てきたビデオに出演していた人とこうやって会うのかと本当に驚いている。
マイケルが繋いでくれた素敵な出会いだった。それから少し話をして、彼女はVIPエリアに向かっていった。これは他人とのアメリカを感じられたエピソードというよりも、運命を感じた出来事だった。
マイケルがこうして導いてくれていると、自分は間違ったことをしていないんじゃないかと思えた。
そして、アメリカに来たのは間違いじゃなかったとも思える瞬間だった。本当に不思議な出来事もあるものだ。
日本で会った他人さん達
これはアメリカで出会った人ではないけど、印象深い人の1人。
東京は、本当に沢山の人がいる。渋谷に行って、いつもつけているヘッドホンを外してみると、どれだけ多くの言語が聞こえるか驚くと思う。日本語を聞き取るのさえ難しい時すらあるはずだ。
高校1年が終わった夏、1年ぶりに1人で渋谷に向かった時のこと。夜になって少し疲れてきたので、スクランブル交差点が見える有名なスターバックスのカウンター席に座ってノートを書いていた。書き物をしながら聞こえる多くの言語に耳をすましていると、隣から英語で席が空いているかと聞かれた。
こちらも当たり前のように英語でどうぞと言うと、向こうは英語で返ってきたことに驚いて、それから話し出した。向こうはマイアミから親子で日本旅行に来ていて、娘さんは自分とほぼ同い年だった。
お母さんはスペイン語の先生で、夏休みを利用してずっと念願だった日本旅行に来たとのことだった。アメリカだったらアリアナグランデがビルの大きな広告に載ることはなかっただろう(2015年時点での話)とか、女の子は写真が好きでずっとやっているとか、沢山のことを話した。それからインスタグラムを交換して、今でもたまに連絡を取っている。
この夜の帰り道、「本当に英語って世界を広げてくれるんだな。」と感動した。今までは渋谷に行っていても、英語が耳に入ってくることはなかった。それに日本で英語が話せるというだけで、海外の人が心なしかもっとオープンに話してくれるような気がする。
やっぱりこちらから歩み寄る、というのがコミュニケーションを円滑にしてくれるし、その歩み寄りが凄く伝わるのが相手の言語を話すということだろう。やっぱり海外の人がカタコトで「ありがとう。」と言ってくれると、母国語でがめつい人よりも優しく対応してあげようと思うしね。
アメリカを含む海外にいなければ、海外の人と話す機会がないと思う人も多いかも知れない。だけど、こちらから英語で会話に飛び込んでみると、案外ウェルカムだったりする。海外に行ってからは、現地の人と話すよりも、日本にいる外国人と話す方がよっぽどハードルは低い。
日本に来ているという時点で、日本に興味があるのは確かだし、もしかしたら日本語も少しなら分かるかも知れない。少しの勇気で案外友達になれるものである。
日本とアメリカの「他人の定義」の違い
ここまで沢山の他人さん達との話をしたけれど、やっぱりまだ「他人」って何なのか分からない。
「アメリカの他人」は日本でいう顔見知りレベルだし、「日本の他人」はアメリカでいう近寄っちゃいけないヤバい人、みたいな大きい違いがある。
だけど、一つだけアメリカに来てから思うのが、「他人にも親切に出来る人になりたいな。」ということ。
知り合いとか他人とか考えてる時点でナンセンスなのかも…と、むしろその考えを取り除けたら、もっと世界が広がるだろうなとも思う。
自分の母がよく言っていたのが、「相手はどうせ人間だから。」ってこと。話せば分かるし、言葉が違っても分かり合えることは沢山ある。そう思うと、他人なんていないのかも知れない。