人を動かすカリスマ性、動かされる人々がいる、そんな「キング」の話 (2) | 留学・ワーホリ・海外留学・語学留学は留学ドットコム

カテゴリー:その他

人を動かすカリスマ性、動かされる人々がいる、そんな「キング」の話 (2)

公開:2019/11/27 著者:西山 僚汰 225 Views

自分は、マイケルジャクソンという存在は宗教に近いと思っている。自分自身、どこかの宗教を信仰しているわけではないし、特に日本人にとって宗教というのは、過去に起こった事件などからあまり良いイメージを持つ人は多くないかも知れない。

その事情を考慮すると、彼という存在は、「宗教」というよりも「信仰」という言葉当てはまるかも知れない。そもそも信仰とは、「神や仏など、特定の存在を信じること。また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること。」とある。

自分にとって、彼が沢山の作品を通して教えてくれたことは、自分の「よりどころ」である。彼は神や仏でもないし、ただの一人の人間で、不完全な存在だった。それを考慮しても、彼の教えは自分を含めて多くの人の「よりどころ」になっている。

 

それは彼の死後、爆発的に広がったと思う。その破片を受け取った新しい世代も多く、自分をその破片のおかげで、今の人生があると思っている。

 

先週に引き続き、今週もマイケルジャクソンという世界一有名で大きく、少し歪んでしまったフィルターを通して見たアメリカ、そしてアメリカでの体験談を伝えていきたいと思う。

先週のコラムが公開されるのは、執筆してから少し先のペースになっている。皆さんの先週の記事への反応がこれを書いている時点ではわからないので、今週も読んで下さっている方がどれくらいなのか、コアなトピックな分正直全く分からない。今週も付き合って下さっている皆様、ありがとうございます。

先週の記事を書いてから、1週間の時間を置いているのだが、たった1週間でもマイケルに関する出来事は増えていく一方だから本当に自分でも驚いている。それはもちろん、このコラムを書くにあたって彼に向き合う時間が増えたということも少なからずあるだろうが、ここ10年この調子なので、驚きと同時に納得もしている。

日々のマイケル

先述の通り、マイケルを感じる瞬間は自分の生活に沢山ある。それは果たして自分がそれを引き寄せているのか、それとも自分の周りがマイケルに感化された人が多いのか、もしくはその両方か自分でも分からない。

だけど一つだけ分かるのが、自分と全く同じ体験をした人はいないということ。ここでは自分が体験したマイケルを感じた出来事を、アメリカの文化などの背景も交えながらシェアできたらと思う。

 

・ダンスクラスで

自分は今、ロサンゼルスでダンスを勉強している。語学学校に通う傍ら、毎日のようにダンススタジオに行って、数クラス受けて、家に帰ってまたさらに踊って、一日を終えるといった生活スタイルである。

ダンスのスタイルはヒップホップやジャズファンクというものをよく受けていて、毎日様々な先生が代わる代わる教えている。有名なミレニアムダンスコンプレックスや、ムーブメントライフスタイルといったダンススタジオには、自分のようにダンスを学びに世界中から人が集まっている。

自分はクラスを受ける時、好きなダンサーのクラスだけじゃなくて、全く知らないけど時間が合うから受けに行こう、といった具合でクラスを受けることがよくある。理由はそのダンサーのことを中途半端に知っていたりすると、自分でプレッシャーをかけてしまってあまりクラス自体に集中できないからだ。

 

知らないダンサーのクラスを受ける時、その人がどんなダンスをするかとか、その人のインスピレーション、好きな曲などはもちろん分からないまま受ける。本当に不思議なことに、そういった時に限って、そのダンサーはマイケルが好きだったりする。

1番分かりやすかったのが、先日とある黒人の女性ダンサーのクラスを受けた時のこと。曲はアッシャーの”U Don’t Have To Call”という自分も大好きな曲で、その時点で少し「ひょっとしたらこの人マイケルも好きなのかなー。」なんて思っていたら、振り付けの1ムーブがマイケルのDrillというダンスナンバーで使われたものと一緒だったのだ。

この瞬間、「あぁ、この人絶対マイケル好きだ!」と確信したので、その人に合わせて少しマイケルを意識した動きを入れて踊った。そうすると、どうやら向こうも自分がマイケルのことを好きなことに気がついたらしく、そこからは不思議なコネクションがクラスの中で生まれたのを覚えている。

 

それから彼女が教える時も、マイケルのことを例に出すなど、お互いに印象を残しながらクラスを後にした。

他のダンサーのクラスでもこれに似たことが多々起こった。マイケルの曲が流れようものなら、自分は誰よりも先に身体が反応してしまうから、ダンサー達も自然と見てしまうのかも知れない。

日本にいて、自分と同じかそれ以上のマイケルへの熱をシェアできるダンサーの人が周りにいなかった分、ロサンゼルスにそんなダンサーが沢山いるのがシンプルに嬉しい。何か一つでも同じ情熱を傾けられることがあると、人はグッと距離が縮まるものだなと再確認した出来事だった。

 

・ハロウィンで

皆さんご存知の通り、10月31日はハロウィンだった。日本では大人達がハロウィンという口実を使ってはしゃぎまくるというイメージがすっかり定着してしまったが、ここアメリカでは本来のスタイルである、子供達が仮装をしてお菓子を近所にもらいに行くという楽しみ方はまだしっかりと残っている。

大人たちも日本みたいに街に繰り出してバカ騒ぎするのではなく、ホームパーティやクラブ、バーに仮装をして赴く。やっていることは普段の休日とあまり変わっていない印象だけど、やっぱり街中にジョーカーや宇宙飛行士、歩くポップコーンなどが溢れていると、こちらも楽しくなってくる。

自分はハロウィンに友達の出るダンスイベントがあったので、クラスを受け終わってから急いでイベントに向かった。バージニアの高校にいた時もあまり仮装といった仮装はして来なかったが、今年は11歳の頃からずっと憧れていたマイケルがBeat Itで着ていた赤いジャケットを買って、着ることにした。イベントに着くと、いつもの友達が思い思いの仮装でイベントを楽しんでいた。

 

皆自分がマイケルを好きなことはもちろん知っているので、「やっぱりマイケルで来たんだね!」なんて言いながらジャケットを褒めてくれた。イベントはとても楽しくて、自分も踊ったりして凄くいい時間を過ごした。驚いたのが、その帰り道だった。

沢山のミニオンやゾンビ達とすれ違いながら帰っていると、通りすぎた黒人の男の人が彼の胸を拳で叩き、自分のBeat Itジャケットを指さしたのだ。少し驚きながらこちらもThanks!と言って、彼もCool Jacket!と言って微笑みながら過ぎ去って行った。

未だにマイケルはリスペクトされているんだな、と嬉しくなった。

 

ジャケット一つでマイケルと分からせてしまう彼のアイコニックさは、やっぱり凄まじいなと思った。

 

衣装が派手なことで知られるアーティストは本当に沢山いるが、「じゃあレディーガガやビヨンセの誰もが分かる印象的な衣装は?」と言われるとすぐには思いつかない。

これって当たり前だけど、本当に凄いことなんだとまた気づかされた。一体マイケルはそういった衣装がいくつあるんだろう…。

 

・先輩と

このコラムに何度か登場している、アメリカに来てからお世話になっているダンスの先輩がいる。いつもこちらでの生活のことやダンスについて沢山教えてくれる先輩で、本当に頭が上らない。

先日、ひょんなことからマイケルの話になり、先輩がマイケルのライブをちゃんと観たことがないと言っていた。「それはやばいです!」と食い気味になって、一緒にマイケルのライブDVDを観ることにした。

ファンの方にはお馴染み、1992年のデンジャラスツアー、ブカレスト公演だ。二分間静止する伝説的なオープニングからヒット曲の数々を、二人で時間も忘れて約3時間観続けた。自分もかれこれ11歳の頃から観ているのに、未だに鳥肌が立つし、目頭が熱くなる。

 

初めてしっかりマイケルのライブを観た先輩は終始叫びっぱなし、鳥肌立ちまくりだった。

 

冷静に考えて、今から20年以上前のライブで、今のような優れた照明や舞台装置はない。にもかかわらず、今なお人を虜にしてしまう。それって滅茶苦茶凄いことじゃないか。無論、それから先輩は、どっぷりマイケルにハマってしまっている。

先輩みたいなトレーニングを積んだ技術のあるダンサーが見ても惹かれてしまうマイケルのパフォーマンスは、不滅だと思う。自分も前よりトレーニングして、ダンスの技術面での理解も前より深まった。

そこが解れば解るほど、マイケルの技術への驚きは増すばかりだ。だからこそ、アメリカを初め世界中のダンススタジオで彼の曲がかかり、彼の魂と踊り続けているんだと確信した夜だった。

 

世代を超えるマイケル

マイケルが自分にとっていかに凄い存在か、彼がどれだけ凄い存在だったかは、今までの記事で沢山書かせてもらったのでかなり伝わったと思う。これだけ熱っぽく書いておいて何だが、自分は彼が亡くなってから彼のこと知ったので、生前の姿をあまり知らないのが正直なところだ。

彼がロンドンで最後の公演、This Is Itをやるという会見を行なっているのが、朝のニュースで流れているのを見たのが、生前の彼をリアルタイムで見る最初で最後の機会であった。彼が亡くなった後、テレビ、ラジオ、本などにマイケルが溢れて、そこから彼を知って今の自分がある、というのが自分の大まかな成り行きだった。

後から、自分のような境遇(?)の多くの人達と知り合うことになるのだが、その時自分は、その事を不思議に思わなかった。いわゆる「マイケルバブル」のような頃だったので、そのタイミングで自分のようにマイケルに感化される人は少なくないだろうと思ったからだ。

 

そんなマイケルバブルから早10年、今では10年前と比べればメディアで彼の音楽やダンス、アートを見る機会が減ったように感じている。

それは時間が経つにつれて当たり前の流れではあるから、全く不思議には思わない。不思議なのは、それだけの時間が経っているにもかかわらず、小さな子供達が未だにスリラーを踊って、ムーンウォークをしているという事実だ。

もちろん、10年の間にインターネットやテクノロジーが発達したおかげで、小さな子たちでも昔の映像や「興味のある」ものがすぐに見られる時代になったのも大きな要因の一つだろう。ただ、その「興味」は時代がどうであれ本人次第だ。

 

ジェネレーションギャップなんてものをもろともせず、マイケルのアートは未だに多くの人を魅了している。

 

先日、先述したVincent Patersonという、マイケルと長年に渡って仕事をしてきた伝説的なダンサー、振り付け師のクラスを受けることができた。ハロウィンの時期ということで、彼もビデオに出演していたスリラーを全員で踊るというもの。

そこには恐らくマイケルをリアルタイムで楽しんでいた人達はもちろん、マイケルが好きなダンサーの友達、おばあちゃんと一緒にゾンビメイクをした女の子など沢山の世代の人達が参加していた。

1番小さい参加者が、5歳のダンサーの女の子だった。2つ上のお姉ちゃんと一緒に、思いきりスリラーを踊っている姿を見てなんだか目頭が熱くなった。その女の子が生まれてきた時には、マイケルはもういなかった。だけど彼のアートに魅せられて、お姉ちゃん、お母さんと3人で片道2時間かけてここに踊りに来たのだ。

 

それって実は物凄いことだし、素敵なことだ。その姉妹とはクラスの後にムーンウォークを教えてあげたりして、スタジオを出るギリギリまで一緒に踊っていた。

自分もこのクラスの後、マイケルを追ってここまできた人間の一人だったことを思い出した。

これはアメリカに限った話ではないだろうけれど、好きなことを本気で追っかけたら、会いたい人に会えるということを実感した。アメリカに来て本当に良かったと思った夜だった。

 

マイケルのなりたかったマイケル

「キングオブポップ」と言ったら、恐らく100人中120人はマイケルジャクソンを思い浮かべるだろう。内20人は聞かれていなくてもマイケルの名を挙げると思う。熱心なファンの人はその呼び名は1980年代に、エリザベステイラーが彼について言った言葉の中から取られたものだということも知っているだろう。

だが、マイケル自身が自分のことを「キングオブポップ」と名乗り、自身のアートに反映させ出したのはそれから約10年後の1990年代のことである。その時も、そして今もその呼び名について異論を唱える人は少ないだろう。

当時アルバムを世界一売った人物だったし、彼はキングであった。そこでふと思ったのが、日本人のアーティストが、「自分から」自らのことを「キング」と名乗ることはそうないだろうということだ。それはなぜか。

 

考えられる理由の一つは、日本には謙虚でいることを美とする文化がある。

 

日常の生活で例えると、「私は人に教えることが得意です!」などとは面接の場でいきなり言う人はまずいないだろう。「得意なことは何ですか?」という質問をされて初めて、自分の得意なことを言う権利が生まれるという状況だ。その背景には、謙虚の美徳があるのである。

さあアメリカではどうだろうか。こちらでも謙虚でいることはもちろん大切だし、大切なことではあるけれど、「得意なことが何か?」という質問の前に自分を押し出すことが大切になってくる。こちらでは、「やったもん勝ち」に近い考え方があると思う。

とにかく自分から何を発信するか、自分をどう売り出すことができるのか。それが大切になっている。だから面接でも、まず自分から、自分が何ができるのかを発信していくのである。だから、ドラマ「フレンズ」でレイチェルがラルフローレンでの面接で自分の長所をつらつらと言うのである。別にレイチェルが特別がめつい人間という訳ではないのだ。

 

そう考えると、マイケルは「キングオブポップ」になりたかったし、王者という絶対的なポジションにいたかったということが伺える。

マイケルという存在があまりに大きいから、あまり疑問に思われない文化の違いの一つだと思う。

ここまで二週に渡ってマイケルを通して見たアメリカを書かせてもらった。マイケルファンの方にはもちろん、マイケルにあまり興味がなかった人達にもマイケルとアメリカに興味を持ってもらえたら幸いだ。

 

最後に一つ、自分の経験という意味で言わせてもらえることがあるとしたら、それは好きなものの強さは凄まじいということだ。

 

ただただマイケルが好きというだけの11歳の少年が、その思いだけを持ち続けたら、思いもよらない経験ができた。そしてその気持ちを世の中に伝えながら行動していると、世の中の方から素敵な機会をプレゼントしてくれるということだ。

これはあなたが日本にいようがアメリカにいようが、あまり関係がないことだと思うのだ。だから会いたい人がもしいるなら、「その人に会いたい!」ということを大声で叫びながら、その人に近しい人や場所に向かって進んでいけばいいと思う。

 

正しいことをやっていると、きっと遅かれ早かれそれは叶うからだ。

 

自分もアメリカに来て、今まで「苦手」と思っていたダンスクラスに通い続けたら、自分の尊敬し続けた人から褒められたりした。それはきっと「好きの力」と「好きの声」を持ち続けたからだと思っている。そんな大切なことを未だに教え続けてくれているマイケルに、感謝しかない。

自分が大好きなマイケルの曲の一つに、”Keep The Faith”という曲がある。未だに心に響いている一節が、”Believe in yourself no matter what it’s gon’ take. (そこにどれだけのことがかかるとしても、自分を信じなさい。)”という言葉。それを「スーパースターのマイケル」としてではなく、「夢を叶えた一人の人間、マイケル」が歌うと、さらに心に響くものがある。

「好き」と自分を信じて、これからも頑張って行こうと思う。

 

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