良い空気も悪い空気も伝染するエピソードを紹介
あなたは、「分かりやすい人」だと言われる?それとも「何を考えているかわからない」と言われることが多い?
自分は99%前者だ。思っていることがすぐ顔に出るし、いい気分の時は分かりやすくニコニコしている。例えば、女の子と付き合い始めの楽しい時期は、周りがうんざりするぐらいに上機嫌である。それとは逆に、何か失敗してしまったり上手くいかなかったりすることがある時は、これまた周りをうんざりさせるぐらいに顔も声も気持ちと一緒に沈んでいく。
日本でバイトを始め立てで、ミスばかりだった頃はめちゃくちゃ小さくなっていた。多分1cmぐらい身長は縮んでいたし、とりあえずの愛想笑いで顔の筋肉はめちゃくちゃ張っていたと思う。そんな調子だから、落ちる時はとことん悪循環に陥る。
失敗にいちいちへこむ性格だから、失敗の後にはまたテンパって失敗をしてしまう。そんな日はもうとことんダメだから諦める。「もう今日はそんな感じだから、もうどうにでもなれ!」とか思ってたら、何かスムーズに事が進んで1日の最後は褒められたりするからよく分からないものだ。
思い返せば、初めてアメリカに来た時はそんなことの繰り返しだった。自分の当時の全力の英語で現地の人と話していた時も、もう一言目から伝わらない時が殆どだった。そこからは緩やかに自分のテンションもモチベーションも下がっていくから、そこから先の英語もなかなか伝わらない。
繰り返していくうちにそれは改善されていったけど、自分は反省をし過ぎるから、いっそ反省をやめてオードリー春日みたいに開き直って生きてみようかなと思っている最近である。では、自分がそんな分かりやすい状態だった時、周りはどんな状態だっただろうか。
日本でのバイト先で、自分の誕生日に出勤していた時のこと。ある先輩は美味しそうなケーキをプレゼントしてくれたし、また別の先輩はサングラスとオレンジのビーニーハット(ちなみに今もそれを被りながらこれを書いている)をプレゼントしてくれたことがあった。
もちろん自分はめちゃくちゃ嬉しかったので、きっとその時も分かりやすく笑顔だったのだろう。その時、先輩達も笑っていた。とにかくみんなで、狭い休憩室でニコニコ、ゲラゲラしていた。
また別の日、先輩がレジでミスをして大変なことになった、という話を聞いた直後に自分もレジをやっていた。その先輩の話でよっぽど自分もビビっていたからか、対応するお客さんの顔もみんな強張っているように見えた。そしたら側にいた別の先輩から、「何でそんなに顔強張ってるんですか?大丈夫ですか?」と言われてはっとした。
こういった体験をしてから、「人は鏡」という言葉を信じるようになった。最初それを聞いた時はわけが分からなかったが、自分の「分かりやすさ」と周りの反応に気が付いてからは、「空気は伝染するんだ」というごく当たり前のことに気がついたのである。
今週は空気が伝染した1日について書かせてもらおうと思っている。
これを読んだあなたにも、いい空気が伝染することを願っている。
メイクアップクラスでの出来事
アメリカというのは面白い国だな、とつくづく思う。どんな状況でも、諦めそうで無謀な状況でも、必ずいつも抜け道がある。これは無理だろうというようなことも、相談してみたら意外と全然道があったりする。言うならば聞いた者勝ちだ。
それがアメリカの好きなところの一つである。そんな感じで、日本では恐らくNOと言われて突っぱねられていたであろうことも、アメリカでは経験出来ている。
一度ダンスのビデオを友達と撮っていた時、ダウンタウンのレストランの敷地内が凄くいいロケーションだった。どうやらオープン準備中だったらしく、撮影できるか聞いてみたところ、「これからロサンゼルス市長が来るから、5時までだったらいいよ。」ということだった。
許可してくれたセキュリティーのおじさんもアートをやっているらしく、俺もアートをやっているから、お前らのアートもリスペクトするぜ、と時間をくれたのだ。これからロサンゼルス市長が来るというのに、凄い優しさである。
こんなことは、日本ではまず起こらなかっただろうと思う。そんなところがアメリカらしさだと思うし、そのアメリカらしさは本当に至るところにあって、語学学校も例外ではない。自分の通っている学校では、生徒は出席率を80%以上にキープしていなければならず、3シーズン連続で80%以下だった場合は学生ビザを取り消されて国に返されてしまうのだ。
だがそれは、学校のビジネスとしても望ましいことではもちろんない。生徒を失ってしまえば学校の利益も減るし、どうにかして学校に残って学費を払い続けて欲しいのが学校の本音だ。そこで、殆どの学校がメイクアップクラスというのを設けている。
このメイクアップクラスとは化粧の仕方を習うわけではなく、足りない出席時間を補うために、一回15ドルで通常通っていない時間に学校でクラスを受けることができるというものである。
日本の語学学校の事情はわからないが、このシステムはあまりメジャーなものではないのではないだろうか。お金を払えば出席率が上げられるというのは、何とも奇妙でアメリカらしいシステムのように思える。
先週、自分も出席率を上げるためにメイクアップクラスを受ける必要があった。実は自分はこの時が2回目のメイクアップクラスで、カウンターの事務の人曰く、毎週木曜日は今まで通り自習時間になるから、5時まで部屋にいればいいという話だった。
その時間でこのコラムを書こうと思って準備もして行っていたが、どうやらルールが変わったらしく木曜日だろうが何曜日だろうが通常のクラスを受けなければいけなくなったらしい。仕方なくその日はクラスを受けたが、そのおばあちゃん先生に、「事務の人はルールが変わったこと分かっていませんよ。」と教えてあげた。
どうやら何かが気にいらなかったらしく、その先生は急にムスッとして自分への当たりが強くなった。そうなった瞬間、こちらも敵認定をしたので1時間目のクラスはめちゃくちゃ険悪だった。今思うと、この時点で自分は相手からの空気をキャッチして、伝染されていた。
そして、なんだかモヤモヤしながら別々のレベルに分かれて、クラスを受ける流れに。モチベーションも何もない殺風景な教室に、40〜50代の背の高い人を上下から圧縮したようなフォルムの、なんともいい人そうな先生が大きな声でみんなを起こしながら入ってきた。
自分が日本人だと分かると、彼は温泉が恋しいだとか、ビールクダサイ、トイレハドコデスカ、といった片言の日本語と一緒に日本に行った時の思い出を沢山話してくれた。この人がもしレストランで働いていたら、きっとポテトとかおまけしてくれちゃうだろうな、といった具合の心が広くて優しい人で、いいクラスだった。
このクラスが終わった時点で、さっきの湯老婆みたいな先生のことは頭の片隅に追いやられ、いい気分になっていたんだから本当に単純なものである。重い荷物を持って、肩を左右に揺らしながらおじさん先生が教室を後にした。そして今度は見慣れない女性の先生が入ってきた。
クラスの時間が違うだけでこんなにも会わない人がいるのかと驚きながらも、その眼鏡をかけた、ドラマ「フレンズ」でいうところのフィービーのような雰囲気の明るい先生を既に気に入っていた。
想像通り明るく元気なその先生のおかげで、クラスの雰囲気も明るくなり、自然と皆の発言回数も増えていた。
今思うと、これも不思議なもので先生1人のエナジーにこうも皆が引っ張られていたのは面白いと思った。
きっと、自分も含めて他の生徒達もわかりやすいタイプの人達だったのかも知れない。
授業の終了時間より少し早く帰してくれたところも含めて、あの先生はいい人だ。その時点でもう湯老婆先生のことは記憶から抹消されていた。
様々な文化とバックグラウンドを持った、多種多様な人に英語を教えるのって難しいけど、実は結局どれだけオープンになれるかがキーなんじゃないかと考えながら、いつもよりすっかり冷えて、街のクリスマスデコレーションがキラキラ光るなか駅に向かった。
駅での出会い
最近、少し肌寒くなってきた。いつも暖かくて冬なんか来ないんじゃないかと思っていたロサンゼルスにも、冬は訪れた。天候のせいか、それとも日本が騒ぎ過ぎなのかは分からないが、12月も半ばになろうというのに日本よりクリスマスのデコレーションは少ない街を抜けて、少し急ぎ足で学校から駅に向かった。
フィービー先生が時間より少し早く返してくれたから、行きたいダンスクラスにも間に合いそうだ。駅について、いつも通り電車を待つ。夜8時までは10分おきに電車が来るから、あまり待たなくても良さそうだ。少し息をついて、買ったばかりのAir Podsに手を伸ばす。これがかなり便利で、街で着けている人を良く見かけるのも納得だ。
そこから頭の中は、これから作ろうとしている振り付けのことで埋め尽くされていた。日本でもそうだったけど、こういう移動時間は限られた時間であることが目的地に近づいていく電車の中から分かるから、かえって集中できる。
細かい音にまで意識を向けると、自然と身体が動いてしまう。ここも日本にいた時と変わらない。小さい動きに抑えることはできるものの、全く動かないということはどうやら出来ないらしい。いつも無意識で身体が音楽と動いてしまう。
だが日本と大きく違うところが、周りの人の反応だろう。日本で身体が動いていると、周りからかなり冷たい視線を感じて、そこでいつも我に帰る。だがここロサンゼルス(というか今まで行ってきたアメリカの全ての地域)ではそんな冷たい視線は全く感じたことがない。
むしろ歓迎されている…というのは流石に自意識過剰だと思うが、はっとすると周りは微笑んでいるのが殆どだ。寛大とも言えるし、ルールにルーズとも言えるアメリカ人のそんなところが大好きだ。
この日、電車を待っている時もいつもと同じく、身体が動いていた。そしてやっぱりいつも通り温かな視線を感じて周りを見て見ると、近くに電車を待っていた黒人のおばさんも踊っていた。流石に初めての体験だった。
いつもは「あぁ、なんか踊ってんのね、頑張れや!」的な視線を感じるが、周りで踊っている人はいなかった。だが今回は、そんな温かな視線が踊っている人から向けられていたのだ。正直かなりシュールだった。
そして初めてこちらから踊るのをやめた。そうしたらそのなんとも優しそうなおばさんがゆっくりこちらに、ニコニコしながら歩いてきた。そしてディズニーの声優かと思う程の優しい声で、「何を聴いているの?」と尋ねてきた。多分曲名を言っても分からないだろうなぁと思い、Air Podsの左側をおばさんに渡した。
こんな風にAir Podsが役に立つなんて思っていなかった。そしてついさっきまで聴いていたAdy Suleimanの”Need Somebody To Love”を流してあげると、身体を左右にゆっくり揺らしながら踊り出した。「いい曲ねぇ」なんて言いながら、「私がさっきラストクリスマスを歌いながら踊っていたら、あなたも踊っていたからつい話かけちゃったのよ!」と言っていた。
そもそも一人で歌いながら踊っていたのか。やっぱり上には上がいる。いくら自分が変わっていると言われていても、自分よりも変わっている人はいくらでもいるのだ。そこから定番の流れで自分は日本から来ていて、ダンスをしていて、とかいう話をしていた。
そのおばさんは日本へ行ったことがないと言っていたけれど、興味津々だった。「いつかクルーズとかで行ってみたいわねぇ。あ、そういえば私の娘が今年クルーズに行ったのよ!凄く綺麗な写真を見せてもらったの。そういえばどこの会社のクルーズだったかしら…。」とここまで一息で、一人で話して、その勢いのまま娘さんに電話をかけ始めた。
ここまでくると自分はもう身動きが取れない。おばさんと一緒に電話がかかるのを待つのみだった。そして無事電話が繋がり、おばさんに言われるがまま読み上げられたサイトの名前を自分のスマホに打ち込み、なぜかサイトのスクリーンショットを撮った。クルーズ会社の新手のセールスなんじゃないかと思える程、「いつか行って見るといいわよ!」とニコニコ笑顔で最後まで隣で笑っていた。
別にこちらから頼んでサイトを教えてもらった訳ではないけれど、そこまで頼まれてもないのに教えてくれたのに申し訳ないのと、ありがたいのが半々ぐらいの気持ちで”Thank you”を言って、何となく別々の方向に歩いて行った。
ところで、あまりにも電車が来ない。そう気付いた直後にアナウンスがあり、どうやら何かの不具合(そのあたりも明確じゃないのがアメリカらしい)で、電車が遅れているらしかった。アナウンスを聞いて、周りはざわつき出す。電車を諦めてバス停に向かう人、ベンチに腰をおろす人、一気にみんなが動き出す中で自分はまだ突っ立っていた。
すると上の方からオペラのような綺麗な声で、”We wish your merry Christmas…”と歌う高い声が降りてきた。1フレーズ歌い終わったところで、駅で電車を待っていた人や、警備員までもみんなで拍手をした。歌った彼女の顔は見えなかったが、彼女の機転を効かせた行動が、一瞬でみんなをハッピーにしたのだった。
どのイルミネーションを見るよりもクリスマスらしさを感じたのは言うまでもない。日本で電車が遅延したら、こういったことが起こるだろうか?アメリカの、みんなをオープンにする「空気」はやっぱりいいな、と心から思った夜だった。
それから自分も、受けたいダンスクラスがあったのを思い出して、いい気分のままバス停に急いだ。するとバスは丁度目の前で、急いでペニーボードに乗りバス停に急いだ。すると目の前でバスの扉が閉まってしまった。
「うわぁ、マジかよ…。」と思っていると、それを見かねたバスの運転手のカーネルサンダースみたいなおじいさんが、呆れた様子でドアを開けてくれた。「もう早く乗れよ、もういいよ。」という視線をもろともせずにめちゃくちゃお礼を言って、無事にダンスクラスには間に合うことが出来た。
無性にケンタッキーが食べたくなった、小さなクリスマスを沢山感じた夜だった。今思えば、あの時のクルーズおばさんとオペラさんがいなかったら、自分のムードはそこまでいいものではなかっただろう。だって、ただ電車を待たされているだけになっていただろうから。
良い空気と悪い空気は伝染する
自分のムードが良かっただけで、バスのカーネルサンダースもバスに乗せてくれたんじゃないだろうか、と思うのはあまりに都合が良すぎるな。
自分は本当にいい空気と悪い空気、どちらも伝染するんだと信じている。
別の日の夜、ダンスパフォーマンスを観にイベントに行った時も、同じことを感じた。こちらまで緊張が伝わってくるパフォーマーを観ている時、なぜか無意識で自分の肩も上がり、腕を組んでいた。
だけど楽しそうにラップをしているパフォーマンスを観ている時は、自分の肩の力も抜けていて、とにかく身体が軽かったのを覚えている。
自分もパフォーマーとして、そして人としていつでも楽しみを見つけて笑っていられる、フィービーみたいな人になりたいなと思った体験だった。