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様々な人種が集まるアメリカで感じたLGBTQ受け入れの現状とは

公開:2020/01/08 著者:西山 僚汰 380 Views

あなたは異性について「考えない」日はあるだろうか?はっきり言って、自分はないと断言できる。

世の中の男性殆どの人が女性によく思ってもらいたいと願っているだろうし、「女子なんて興味ないから…。」と言っていたあいつが実は女子の目線を気にし過ぎて、女子の前だと上手いこと言おうとして空回りしていたのを自分は見逃さなかった。

だからと言って彼を責めようとは微塵も思わない。なぜなら自分も女の子にはより優しくなっているし、だから好きな女の子のことを他の男が狙っていると分かると即戦争になるし、それを通り越すとこれまでにない固い友情が男同士で結ばれる。

 

男なんて本当に単純でいい意味で、「馬鹿」な生き物であると自覚している。

 

昔の映画やドラマは、だいたい男が綺麗な女の子に恋をすることで始まるのからもわかるように、男の方の目線から描かれることも少なくない。彼は彼女の心を掴むことができるのか?!という具合だ。

音楽だって、ロックで使われる「I」はだいたいが男のことを指している。多くある理由の一つは、前述の通り男はピュアでバカな生き物であるからだと思うのと、もう一つの理由として昔は男達がメジャーな音楽ジャンルで、女心を想像して女性の目線から歌詞を書く、という考えそのものがかなりマイナーだったからではないかと考察している。

こう考えると、カルチャーの長い歴史の中で女性のイメージはかなり男性から作られてきたのだと気付かされる。

 

しかし、今や不特定の人を指す単語が、「He」から「They」に変わっているのだ。

 

と、ここまで長々と書いてきたが、今まで自分が書いてきたこの文章も、2020年になろうとしている今の時代の流れを逆流するようなものだとお気付きだろうか?誤解を生まない為にも、訂正させてもらおう。

そもそもなぜ「異性」のことを考えるのが前提なのだろうか。なぜそこに「同性」である可能性はないのか?なぜ男性または女性が、異性のことを考える前提でドラマや映画、音楽はストーリーを語っていたのか。

それにあの文脈だと、「They」はフェミニズムの影響で使われることになったようにも取られかねないが、「She」ではなくて「They」が使われているのは、二つの動物学的な性別で分類するのがようやく疑問視されだした今だからである。

 

 

今はマドンナ、レディーガガ、チャーリーXCXなどポップを先頭に立って引っ張っているスター達が、LGBTQを支持している。

 

自分がアメリカに来たのは、レインボーフラッグ(LGBTの社会運動を象徴する旗)が徐々に色々なところで見られ始めた時期だったこともあり、幸運にもそのことについて見聞きしたり、交流したりする機会がそれなりにあった。

日本のように同じ肌の色を持った人々が、同じ文化の中で暮らす国では受け入られにくかったLGBTQという存在は、様々な肌の色と文化が集まった国でさえ「ようやく」受け入られ始めたのだ。

もちろん日本が同じかそれ以上くらいそこに理解を持つ日は、すぐではないかもしれない。だけど、ここで自分のLGBTQに関する体験をシェアすることで、そんな日を1分でもはやく迎えられるようになることを祈っている。

そもそもLGBTQって?

そもそも、最近よく耳にするLGBTQってどういう意味か、すぐに言える人はどれぐらいいるのだろうか。これをすぐに言える人は、なかなかに意識を高くもってニュース等に関心をもっているんではないだろうか。これがわからないと、本当にピンとこないと思うので説明させてもらおうと思う。

最初の「L」はレズビアンのこと、「G」はゲイのことをさす。この二つは耳にした事がある人も多いのではないだろうか。これは自分の生まれ持った性別を自覚して、自分と同じ性の人に惹かれる人のことである。だから間違えてはいけないのが、ゲイの男の人は決して女性になりたい訳ではないのだ。

レズビアンの女性も、男性になりたい訳ではなくて、女性として女性が好きということだ。これはきっと多くの人が誤解をしやすいところだと思うし、正直なところ自分もアメリカに来るまで分かっていなかった。

 

次の「B」はバイセクシャルのことをさす。バイセクシャルとは、自分の生まれ持った性別を自覚して、同じ性と違う性、両方に引かれるということだ。仮に男性である自分がバイセクシャルだった場合、自分は女性になりたい訳ではないけれど、男性と女性両方に惹かれるという状況だ。

やっぱり日本では、バイセクシャルの人に会ったこと(もしかしたら自分が知らないだけかも知れないが)はない。アメリカに来て、日本人の先輩がバイセクシャルであることを知ったが、自分は特に驚かなかった。これはLGBTQの人みんなに当てはまることだと思うのだけれど、みんな至って「普通」である。

普通に恋愛の話もするし、同じようなことで悩んでいたりときめいたりしている。ただその相手が異性か同性かというだけの違いで、あまり隔たりを感じたことがない。むしろ「自分は他の人達とは違う。」ということを受け入れて生きている分、固定概念に捉われた大人と話す時の方がよほど隔たりを感じる。

 

「T」はトランスジェンダーのことをさす。トランスジェンダーとは、自分の身体と心の性別が一致しない人たちのこと。例えば、男性の身体を持って自分は生まれて来たが、心は女性であるということ。その逆のケースももちろんある。中には手術をして性転換をする人も少なくない。

日本だと「オカマ / ニューハーフ」という言葉で済ませられてしまい、あたかもその人たちはテレビに出ている面白い人という印象が残りがちだが、誰も彼らが本当はどんな状況なのかを伝えることはしない。

彼らがそれを伝えて欲しいと思っているのかすら分からないけれど、自分達が知っておいて、理解をするのに損はないと思う。

 

最後の「Q」は自分も正直なところ最近知ったのだけれど、クエスションという人達を指す。彼らは自分の本当の性が分からず、疑問を持っている人達のこと。

だから性欲もないし、異性や同性にも恋愛的に惹かれないという状況だ。自分はクエスションの人達に出会ったことがないし、身近にもいないからなかなか彼らの心情などがわからないが、現在どうやら日本でも少なくないらしい。

こうしたいわゆる「マイノリティー」と言われて一括りにされてしまっている人達も、こうしてそれぞれ違ったタイプがあるのだ。

 

→ 国際人としてLGBTQの理解は持っておいた方が良い。

 

アメリカのゲイの友達

初めてアメリカに来て高校に通い出したその年に、自分と同じようにその学校に転校してきた男の子がいた。アメリカの学校は(私立か公立か、学校のサイズ等にもよるが)小学校から高校まで一つの校舎にまとまっている。

なので、いわゆるエスカレーター式で、友達と一緒に高校卒業まで同じ学校に通うことがほとんどなのだ。だから、自分と彼のように義務教育も終盤に差し掛かろうしていう高校の時点で新しい学校に行くというのは、なかなかのチャレンジであったのだ。

周りはもう友達の輪が出来ていて、グループもはっきり分かれている。そんな中で自分の居場所を見つけた自分と彼は、もちろん友達になった。彼は本当にいい奴で、おしゃべりで、少し声がでかくうざいけど、どこか憎めないお坊ちゃんという感じで、いい奴だった。

 

彼は明るくて、割とすぐに輪に入っていくタイプだったから、スムーズに友達が出来ているように見えた。でもどこか、何かを隠しているような気がしたのは自分だけじゃなかったようで。あいつはゲイなんじゃないかという疑惑が持ち上がったのが、入学から2ヶ月ほど経った時だった。

というか、ほぼ100%彼はゲイだと思えた。理由は話し方から歩き方まで、とにかくステレオタイプのゲイだったのだ。でも彼は何かを隠している感じを出してきていたのが、また噂を呼んだ。特にいじめなどにはならなかったが、彼がカミングアウトした瞬間に噂が立ち消えたのだ。

こちらとしてはカミングアウトをされたところで、「あぁ、だよね。知ってる。」ぐらいなものだったから、全く驚かなかった。人って面白いもので、真実よりも憶測に惹かれるのが常らしい。だからゴシップは常に人気だし、最悪真実すら曲げられてしまう。だから都市伝説は常にあるし、何年かに一度は絶対に世界滅亡の噂がたって、本当なんじゃないかと少し思ってしまう。

 

とにかく、彼は結局無事皆が事実を知ってから、カミングアウトをすることに成功した。そして、それからの彼はいつもよりゲイっぽくなって、話しながらの身振り手振りもよりらしくなってきた。それを見てなんだかこちらもすがすがしく思えてきて、こちらもハイテンションになっていったのは言うまでもない。

カミングアウトって、本当に勇気がいることだと思う。もしかしたら、事実を言うことで周りの態度が変わることはおろか、友達を無くしてしまうかもしれない。でも言うことで、本当の自分をもっと出せて、生きやすくなるかもしれない。本当にこれは勇気のいる決断だと思う。

自分は彼以外に、カミングアウトを上手く出来なかったゲイの人も同学年で知っている。彼の場合は噂がどんどん悪い方にいったことで、カミングアウトのタイミングを失ってしまい、最後は腫れ物に触るみたいな対応をしていた人もいた。

 

この彼は好き嫌いが激しい人で、彼の好きな人達には凄く優しいけれど、そうでない人達には凄く意地悪だった。敵がそれなりにいる彼だったので、彼のゲイの噂がでた時は本当に早かった。そして全くゲイの素振りを見せなかったため、正直自分も驚いた。

沢山のタイプの人と交わる学生生活、特に思春期にあたる高校生活でこういったことを経験しなければならないのは、かなりタフだと思う。最近の映画で、「Love, Simon(ラヴ、サイモン)」という作品がある。これは主人公である17歳のサイモンが、あるトラブルからゲイであることを告白せざるを得なくなり、困難を乗り越えてカミングアウトをするまでのストーリー。

この映画はかなりドラマチックに作られているから、現実とは少し離れているところはあるが、サイモンの気持ちの移ろいは、オーバーではないんじゃないかと想像できる。

 

こういった、ゲイの男の子が主人公になった話がヒット映画になるというのは、彼らにリスペクトを払った良い流れでもあるんじゃないかと思う。だが、一人目のゲイの友達は日本でもヒットしたミュージカルドラマ、「グリー」のセクシャルマイノリティーへの描写は、「少し行き過ぎていた。」と言う。

彼は音楽が大好きで、アメリカを離れた今でも毎年「今年のアルバムベスト10」を発表し合うのだが、そんなアメリカナイズされている彼でもグリーは見なかったらしい。

確かに時代の流れを娯楽作品に投影することは、カルチャーとして守っていくという大切なことである。だけどあまりに事実からかけ離れてしまっては、間違った印象が残ってしまうから、これからの向き合い方は大きな課題である。

 

→ ドラマや映画でのLGBTQの過度な演出は、間違った印象を与える。

 

ゲイをカミングアウトしたアーティストの「井上涼」

先述の通り、カルチャーとアートというのは切っても切れない関係である。

その時代の文化と、その時代に作られたアートは密接に関わっている。戦争時に作られたディズニーの作品では、敵対国をドナルドダックが攻撃していた。また、大量生産の流れが盛んだった時期には、アンディウォーホルはキャンベルスープの缶を沢山プリントすることで、時代をポップに映写して見せた。

新しい動きが起こると、新しいアートは生まれるのだ。そんな中で、日本でも同性愛というものが、身近な文化や考えとして広まり出した2005年、井上涼は作品を通して自身のセクシャリティをカミングアウトした。

 

彼は東京を拠点に活動しているアーティストで、アニメーションを作る際の作画、作曲や演奏、脚本等ほぼ全てを自身が担当しているマルチタレントアーティストだ。今ではNHKや森永乳業、さらにズームイン!!サタデーなどでもアニメーションを手掛ける彼の作品を、目にしたことがある人も少なくないのではないのだろうか。

彼のことを教えてくれたのは、ロスアンゼルスで知り合ったダンサーの友達。彼はゲイであるが、別にそれを隠しているわけでもないし、かといって振りかざしているわけでもない、といった印象だ。彼は自分の考えを強く持っていて、いつも沢山のことを知っている彼の独特の世界観に引き込まれてしまう。

そんな彼が強くお勧めしていたのが、井上涼だった。その独特すぎる世界観と、あとから効いてくる、スープの中に入った生姜のような優しくてあったかいメッセージは、初めて見たその日の夜から自分を惹きつけた。彼の作品が沢山YouTubeに載っているため、少しでも時間があるとつい元気をもらいに見てしまう。

 

そんな彼が、日本で行われたTed Talk(様々な著名人やアーティスト、活動家がスピーチをする国際的なコンファレンス)の映像が上がっていた。今までは彼の作品を見ていたが、彼が自分の言葉で彼自身として何かを伝えているところを見るのは初めてだった。

360度の円形のステージでお客さんに囲まれて話す彼は、実は口下手で多くの人にものを伝えるのは、作品を作る程得意ではないんじゃないか、という印象を正直受けた。時間がある人はその11分の動画をフルで観て欲しい。ゲイである自分が、どうやってその「違った目線」をキャッチして作品に落とし込んでいるのかを丁寧に、彼の人懐っこいイラストと一緒に紹介されている。

「ゲイである。」という日本ではまだまだマイノリティーな自分をどうやって受け入れて、作品に昇華しているのか、それはこのスピーチを見ただけではわからないかと思う。彼はとてもわかりやすく、簡単に考えをまとめているため、より深い部分まで彼を理解するには言葉の行間を注意深く理解する必要がある。

ただ自分がこのスピーチを見て思ったのは、まず自分を理解して受け入れる上手さに凄く長けているということ。「自分はこういうことにモヤモヤするけど、このモヤモヤは悪いことじゃないんだ、武器になるんだ。」ということ。

 

「自分は他の人とこんなにも違うけど、この違った目線は客観性とオリジナリティになるんだ。」という彼なりの結論は、もちろん簡単に導き出されたものではない。

 

ここまで来るのに沢山の困難を乗り越えてきたからこそ、その土台の上に明るさやポップさがしっかりと立っていられるのだろう。彼の作品は公式でネット上に上がっているので、是非皆さんもチェックしてみて頂きたい。

ちなみに先日の彼の動画を母に送ってみたところ、どうやら2歳下の自分の妹が高校時代に友達とよく彼の作品を見ていたらしい。妹のセンスの良さに少し驚きながらも嫉妬してしまった。

 

LGBTQへの理解はじわり深まりつつある

様々な「セクシャルマイノリティー」と呼ばれる人達と会ってきて、ふと考えることがある。それはそもそも「マイノリティーとは何か?」ということだ。マイノリティーという言葉を使い過ぎてゲシュタルト崩壊しているのもあるだろうが、彼ら(They)は昔に比べてマイノリティーではなくなってきている。

未だに彼らはマイノリティーだという考えが少なからず自分を含めた世間にはあるが、もう昔と違って自分はどんな人に惹かれるのかを隠す必要は昔程ない。

きっと50年前に自分がゲイであるとカミングアウトすると、差別や迫害は避けられなかっただろう。だからカミングアウトしないのは当然と言えば当然で、身を守るためにも必要なことだったであろう。

 

だが今は、勇気ある先輩達のおかげでカミングアウトをいくらかはし易くなったのではないだろうか?今ではテレビの向こう側のあの人や、ステージで何万人もの観客を前に、毎晩パフォーマンスするあの人だってカミングアウトをしている。

タイラー・ザ・クリエイターだって、同性愛者であると告白した。だけど、彼が才能に溢れたアーティストだということに変わりはない。その事実は誰も否定しないだろう。時代は、レッテルや呼び方だけで人をジャッジしない方向に向かっていると信じたい。

このLGBTQのことを考えるたびに、高校の時のゲイの友達が言っていたことを思い出す。彼はある日突然、インスタグラムのストーリーにこう綴っていた。「簡単な事実で、愛は美しいもの。そして絶対に恥じるものではない。」この言葉に、彼の優しさと強さが表れている気がする。

 

→ 高校時代のゲイの友達がインスタグラムで綴っていた一節。

 

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