深夜バスで訪れたサンタクルーズのHenry Cowell Redwoods State Parkで見た幻想的な光景をレポート
あなたは、最後に「冒険」をしたのはいつだか覚えているだろうか?
きっと10歳の頃に友達と少し遠い、大きな公園に親に内緒で行ったとか、15歳の時に中学の先輩と隣街までひたすらに自転車をこぎまくったとか、そういった記憶は多くの人に残っているだろう。
その記憶達は特別で、デリケートだけどずっしり重いガラスでできた美術品みたいなもの。みんなそれぞれに形は違うけれど、どれも綺麗な美術品だ。
そんな作品を心の中で完成させてから家に着いて、いつもの部屋に帰ってくると自分が少し成長したような気持ちになる。
やっぱり家が落ち着くな…という安心感と、旅のキラキラした思い出が同時に胸の中を通過して、きゅうっという音が今にも聞こえてくるよう。こんな体験を最後にしてから、もうしばらく経った気がしていた。
別に今の生活に不満がある訳でも、特に嫌なこととか人がある訳でもないんだけれど、なんだか前に比べて気持ちが跳ねない。線グラフで言うと、ただの直線。しかも真ん中を真っ直ぐ通っている。よーく見ると微妙に波があるけど、遠目で見たら直線…といった感じの生活を送っていたことに気がついたのが、2週間ぐらい前。
自分は、「自分のペース」を作るのが上手いと思っている。理由は簡単で、自分は自己中心的な性格だから。(笑)だから周りを振り回すし、挙句の果てに自分で作ったはずのペースに疲れてしまうんだから、もう我ながら呆れたものである。
それから、ふと今の自分が何を欲しているかに気がついた。「自然」だ。思えば今までは常に自然に近かった。埼玉に住んでいた時は富士山が見えるぐらいただっぴろい畑が家のすぐ側だったし、横浜にいた時も歩いて丘を登れば自然に囲まれた大きな公園を散歩できた。
さらにはバージニアで高校生の時は、朝焼け、夕焼け、そして満点の星空をしっかり見れるど田舎に住んでいた。今までの人生で、初めてあれほどの星を見た場所は他にない程だ。
自分では都会派のバリバリシティボーイだと思い込んでいたけど、どうやら自然にずっと触れないと落ち着かないようだ。
話は変わるが、年末で時間があったから、久々に冒険に出ようと思った。自分の中で、アメリカと言ったらレッドウッドとなぜか頭にあった。行先の条件として一つはレッドウッドが見れるところ。そして、どうせなら自分の大好きな夕焼けも見たいから、2つ目の条件は海が近いところ。あとは長距離バスのスケジュールと値段を見て、行先は必然的にサンタクルーズになった。
サンタクルーズはカリフォルニア州にあり、サンフランシスコより少し南にあるところ。この地名にピンときた人は恐らくサーファーか、スケーターか、ムラサキスポーツの店員だろう。
そう、青い手の平から舌を出したロゴが有名なサーフブランド「サンタクルーズ」はこの土地発祥だ。このあたりで、もう行かない理由はほぼ見つからなかった。肝心のダンスも、年末だからダンススタジオはクローズしていたり、受けたい先生も地元に帰っていて教えていなかったりするので、行くなら今しかない。
「この一日だけのオフ日をマックスで活用するにはこれしかない!」と、授業中にバスのチケットをポチっていた。(先生ごめんなさい。タイミングを逃したくなくて。笑)
誰かと一緒に行くなんて、頭になかった。ロサンゼルスに来てから、ありがたいことにほぼ毎日誰かと一緒にいるからだ。それはめちゃくちゃ幸せだしありがたいことなんだけど、何だか自分と会話をするタイミングに思えたし、何より一人なら身軽で楽だ。この時、もう一人旅が楽しみで仕方なかった。
「そんなことをしていたら、とうとう彼女なんて出来ないぞ…。」と思ったけどもうそんなことはどうでもいい。近くの薬局で27枚撮れるインスタントカメラを買って、いつもの手帳と筆記用具、充電器とパスポート、財布だけをバックパックに詰めて、相棒の黄色いペニーボードと一緒にバスに乗り込んだ。
深夜バスのシステム
「深夜バスって、何だかワクワクする。」と言うか長距離移動が好きだ。自分は長距離移動をする時は大体一人だったこともあり、いつも誰かといることがなんだかんだで多い自分にとったら、この移動という時点で、もはや一つの大きな予定である。
何のアルバムを聴こうかとか、ネットフリックスの観たい映画リストを確認したりして、もうソワソワしてしまうような好きな時間の一つだ。これから始まる旅行に頭がいっぱいで、「何でもこれからできるんだ!」という期待の時間であることは多くの人が共感してくれるんじゃないだろうか。
そして、自分は運転が出来ないので、値段を抑えるということでもバスを取るしか方法はなかった。そのバスは日本と同じくネットでチケットを購入することができる。値段は時期によって本当に変わるのだけれど、今回は12月30日でクリスマスを過ぎた年末ということもあり、値段はいくらか抑えることができた。
傾向として、時間を有効活用できる深夜バスはいくらか値段が高かった。ただ今回は31日にはロサンゼルスで予定があり、ホテルを取るよりは安いということで深夜バスを利用した。ちなみに今回利用した会社はGreyhoundという大手のバス会社。
チケットはEチケットとしてスムーズに手配できたし、バスも綺麗でトイレとコンセントがついていたので自分は満足だった。バスはロサンゼルスのダウンタウンから大きなステーションを午後11時5分に出発するということで、出発20分前には到着しておくように、という注意書きがあった。
もちろんそんな時にも、自分は予定を入れてしまう。そして案の定、予定がギリギリまで伸びてバス出発20分前までは、あと7分しかない中、Uberで向かうことになってしまった。毎回反省する。
だけど、「バスならどうにかなるだろう…。」という甘えで毎回バスでは時間ギリギリになってしまう。しかもこのバス会社は使ったことがないから、システムがわからないことにUberの車内で気づいて、さらに焦る。
もうどうにもできないことがわかっているから、変な汗が出てくる。これはまずかったかもしれない。そして焦っていた自分を見て機嫌が悪くなっていた中国人のドライバーさんに駆け足でお礼を言ってから、バスステーションのエントランスに走る。
今までいかに走らないで生活できるかを大切にしている自分にとっては、かなりレアな状況だった。フロントにいるおばさんに、大きな荷物は無いけど、この長い列に並ばなきゃいけないのかを聞こうと思ったら、とにかくその列に並べと何も聞かずにつっぱねられてしまった。
これもアメリカあるあるだ。カウンターのスタッフでハズレの人の対応はとことん悪い。接客する気がまずないのだ。「私の仕事は来た人を列に送ること。」というロボットになっているのだ。そういう人に出くわしてしまうと、日本の接客に心底感動と尊敬をするのである。
そして、そうなってしまったら、もうこちらのサバイバル力が問われる。自分はこういうどうしようもない時に、とにかく誰かに助けを求める。とりあえず列に並んで、前に並んでいた優しそうなシンガーソングライターみたいな男性に自分の状況を説明した。
そうすると、その男性は「もう時間ギリギリじゃないか!この荷物だったらここでチェックインしなくていいはずだから、あのゲートに向かって急げ!Go!」と言ってくれた。何ていい人なんだ。「もしあなたが本当にシンガーソングライターなら自分は絶対に応援するし、どんなジャンルの音楽であろうとシェアするよ!」っていう気持ちを込めた全力のThank youを伝えて、なんとかバスの搭乗口に並ぶことができた。
アメリカ人の適当感を垣間見た瞬間
ちょうどバスの搭乗が始まったぐらいに並べたから、一気に安心できた。そして、インスタントカメラでせっかくだから出発の様子を撮ろうとペニーボードを地面に置いた瞬間、バスのスタッフの人がそれを手に取った。
「これは手荷物にはならなかったのかな。」と思って何もできずにいたら、ちょび髭のおじさんが勢いよくペニーボードに乗ってオーリーとかフリップとかをガンガン決めているじゃないか。何だかマリオがペニーボードに乗っているのを生で見ているようで興奮してしまって、勝手に自分のものに乗られているにも関わらず、そのインスタントカメラで一枚撮ってしまった。
そして、乗り終われば気持ちよさそうにペニーボードを自分に返して、同僚にドヤ顔を決め込んでいるそのマリオを見て、「いやぁアメリカはやっぱりすごいな…。」と思った。こんなことを日本でやったら大炎上である。マリオもなかなかに上手かったから、自分も楽しんでしまったけど、これを楽しめるのはアメリカの自由な空気感があると思う。
この「適したところに当てる。」という「適当」感がアメリカのいいところじゃないだろうか。
ずっと力を込めるということではなくて、どこかで力を抜いているスタイルは、自分も見習いたいなと思った。そしてバスに乗り込むと、どうやら席は自由席で、空いている席に座った。
やっぱりアメリカ人は体格が大きいから少し窮屈だったのが正直な感想だが、それは仕方がないのかな。身体の大きな彼は肘が当たっても文句一つ言わずにいてくれたから、お互い様なのだろう。
バスに乗ると、タイトル通り本当にベタにガブリエルアプリンのNight Busを聴きながら、気づいたら眠りについていた。このバスは、サンタクルーズを含むいくつかの場所を経由してから、サンフランシスコが最終ストップとなっていた。
何回かトイレ休憩を挟みながら、電車のようにステーションに止まっていく。時には、「マックで何か買いたい人いますかー?」という友達とのロードトリップのテンションで進んでいく、ゆるいバスライドだった。
その友達ノリが過ぎてかはわからないが、途中つんざすようなドライバーからのアナウンスで、「今、前の席に置いていた俺の黒いジャケットが消えた!誰が取った?!見つかるまで俺はバスを動かさないぞ!」というもはや意味がよくわからないアナウンスが聞こえてきた。
一体自分は今、何を聞かされているんだろう。それからあれは息子からもらったジャケットだとか、Siriを使ってスペイン語で同じことをアナウンスするなど、これまた日本だったら120%炎上であるような出来事である。
それから少しして、「いやぁ、どうやら俺も疲れていたみたいだ。ジャケット見つかりました。」とけろっとしてバスが動き出した。いや。あったのかよ。この時自分は、あとでメールで届くバス会社のアンケートには、最低レビューを書いてやろうと心の中に静かに誓った。
それでも自分の気分は、旅への高揚感に溢れていた。日本で深夜バスに乗った時はいい思い出だったから、今回のバスライドもいい気分だったのかも知れない。日本で数年前に深夜バスを利用した時は、新宿のバスターミナルから目的地の伊勢までの直行便だった。
それまでいくつかの休憩はあるものの、バスの乗客みんなの目的地は伊勢だった。そして、その楽しかった思い出と、バスのシステムも今回も同じだとすっかり勘違いしていたのが、今回の間違いだった。
というのも、今回の最終目的地はサンタクルーズではなくてサンフランシスコだったのだ。そのサンフランシスコに行くまでにサンタバーバラ、サンタクルーズ、サンノゼなどの場所を経由して行くというものだったのだ。
そんなことは全く知らず、自分は時間や現在地などを全く気にせずに爆睡をしていた。そして目を覚ました午前9時頃、自分はサンタクルーズを過ぎてサンノゼにいた。これはやってしまった。
いくら予定を詰めていない自由気ままな旅とはいえ、これは痛い。仕方なくサンホゼのバスストップで降りて、値段を見るのを怖がりながらサンタクルーズのHenry Cowell Redwoods State Parkを目的地に指定して、Uberを呼んだ。
Henry Cowell Redwoods State Park
幸いUberの値段はそこまで高くなかった。30ドルで長く寝れたと思って、自分を納得させていたら、すぐにUberが到着した。ドライバーはメキシコ人の大きな男性で、「距離はそこまでないのだけれど、山道をぐねぐねと降って行かないといけないから少し時間がかかるんだ。」と優しく教えてくれた。
「この人はいいドライバーそうだ、何なら少し寝れるかも知れない。」と思っていたがはっとした。そうだもう寝ている場合ではない。せっかく知らない土地に来たのだから、現地の人にサンタクルーズのことを聞いてみなければ。現地の人なら面白いところや場所を知っているに違いない。
何か今向かっている公園の他にいい場所はないかと聞いたところ、「あとは海ぐらいかなぁ。」と自分も行く予定だった場所を教えてくれた。やっぱり有名なだけあって、本当にいい場所なんだろうと、さらにワクワクした。
さあ、まずはこの森林を見なければ。「自然」と言われて最初に思いついたのは森林だった。きっと子供の頃に住んでいた埼玉の森林のお陰だろう。だけど、せっかくだからと大きなレッドツリーを見ようとこの場所を選んだのだ。何だかんだで公園に着いたのは午前10時過ぎ。
パーキングの入り口を抜けて、少し車を走ったところで公園の入り口が見えた。車から降りた瞬間に、空気が違うのを感じた。山の上だから空気が冷たくて、なんだか背筋が自然と伸びるような、つむじをぴっと上から引っ張られているような不思議な力を感じた。ワクワクするというより、「やっと来たな!」というような落ち着きを覚えた。
やっぱり地面が湿っていて、足場が良くはなかったが新しいオレンジのコンバースを履いてきたことを後悔しなかった。もうその汚れすらも思い出になるような気がしていた。柵で道が作られていて、道に沿って公園を歩いて行くというもので、公園に入った瞬間に鳥肌が立った。
この写真の5倍以上、実物は美しい。写真を撮っていたけど、これは誰かに美しさを共有するためではなくて、後から自分で見て実際の美しさを思い出すために写真を撮っていた。
未だに残った朝露が輝いて、湿った空気がまだ斜めに刺していた日差しを綺麗に強調していた。これほどまでに綺麗な自然を見たのは初めてかも知れない。初めて自然を見て鳥肌が立った。ドラゴンクエストで見たたような森の景色が目の前に広がっていて、神聖な場所に入って行くような気分でゆっくり森の奥に歩いて行く。
周りを森に囲まれて、リスや自然と倒れた大木を横目に進んで行くと、もはや足が動かなくなった。その場にじっと立って、大きな自然に引き込まれていた。気付けばヨーロッパ出身らしい家族連れも大家族も、周りでじっと立っていた。
お互い言葉を交わさなくても、一緒にいることを意識し合っていた。なんとも不思議な共有の体験だった。そこからゆっくり歩いて行くと、ジョギングしているおじさんや、至る所にいる中国人の大グループ、カップルから家族連れと色々な人たちと森を共有した。
少しすると汽車の汽笛が聞こえる。どうやら公園内を汽車が走っていて、それに乗るチケットもどこかで売っているらしい。結局2時間弱、一人で自然を満喫していた。携帯が圏外でこんなに嬉しかったことはない。
存分に身体も心も深呼吸して、公園を後にした。このセクションの文が短いのは、この自然を文で細かく表すことを諦めざるを得ないからだ。あれ程のものを体験してしまうと、「行ってみて欲しい。」という言葉でしかこの感動を表すことができないと思ってしまう。
やっぱりこの旅行を今週で全て伝えることは出来なかったので、残りは来週に。