新型コロナウイルスというWakeup Call ~可能性は割と無限~
自分たちは今まで数々の「自分ではどうしようもできないこと」を経験してきた。明日のデートのために天気がいくらよくなって欲しくても、そんなことは地球には全く関係のないことであるから、もちろん自分がいくらてるてる坊主をぶら下げても関係ない。
ここで、「日頃の行い次第」と捉える人もよくいるが、自分はその考え方が好きだ。冷静に考えたら、それもまた根拠のないことだけれど、だからこそ「信じるだけでいい。」という手軽なものでもある。
この考え方一つで、もし晴れたら「自分の日頃の行いはよかったんだな。」と思えるし、もし雨が降っても「じゃあもう少しひとに優しくしてみようかな。」とか(ここまで正直に捉える人がいるなら友達になりたいが)、自分なりの解釈で捉えてみることもできる。もしくは「せっかくの雨」と捉えて家デートに変更してもいいし、二人で雨の音が聞こえるカフェに行ってリラックスするのもなかなか悪くはないかもしれない。
「自分ではどうしようもできないこと」は、考えてみると山ほどある。物価、世間の流行、そして人の性格。これらは、自分が頑張ってたくさん行動を起こすことで何かが変わるかもしれないが、本質的に大きく変わることはない。
自分がいくらあなたに説教をしようが、全ての行動を褒めようが、自分があなたの性格に影響することは多少あっても、あなたの本質的な性格は変えることができない。だから自分たちはお互い譲歩しあって、受け入れながら関係を築いていくんじゃないだろうか。
もう一度言うが、これは全く持って悪いことではない。「そういうものだ」と受け入れてしまえば何もストレスにならない。ある種の諦めであり、許しであり、受容である。この単純なことを、こういった世界的な混乱の中に突然入ってしまうと忘れてしまうものである。
今現在、アメリカ全土はコロナウイルスに怯えている。つい一ヶ月前ほどにネットのニュースで日本が混乱しているというニュースを見た時は、まだどこかで他人事のような、ネットのミーム(画像やgifなどで広がっていくジョークのようなユーモアのあるもの)のような、まだあまりリアリティがないものだと思っていたアメリカ人が多かった。
欲しいものは手に入るし、生活にも支障はない。ただ海外、主に中国をはじめとするアジア諸国は大変なことになっていて、イベントや集団が集まる場所の閉鎖、デマを原因とした品薄となるものなど、そんな状況は自分たちに起こらないと言わんばかりに傍観していたひとが多かった。もちろんそれは自分も含めてだ。
だが3月に入りアメリカでの感染者が目立ちだし、ついにはロサンゼルス市内での感染者がいることがわかった。語学学校近くの韓国料理屋さんのスタッフが感染して、そのレストランはクローズしているとか、そういう噂がたち出したのもこの頃だ。学校やレストラン、至るところに消毒用アルコールが置かれ出して、マスクが若干品薄になってきているという状況だった。
増えていくアメリカでの感染者の数に政府も動き出し、アジア諸国へのフライトの数を制限したり、感染がひどい国からのアメリカ入国を制限したりするなどの動きがあった。
そんな週が2週間ほど続いて、とうとういつも行っているMovement Lifestyleというダンススタジオが他の有名ダンススタジオに先立って、クラスの受け入れ人数を通常の半分ほどに制限し出してからは本当に早かった。
雨季に差し掛かったロサンゼルスは非常事態を発令し、人々は食糧や日用品を買い漁っている。これはネットニュースで読んだ日本そのものだった。今週は自分個人からみた今のアメリカをそのまま伝えようと思っている。
こういったことはなかなか起こるものじゃないし、意味のある記録になるんじゃないかと思っている。この記事が公開されている頃には、アメリカを含め多くの地域で事態が収束に向かっていることを祈っている。
ロサンゼルスの状況
これを読んでいる日本の皆さんはもう体験しただろうが、このコロナウイルスという新しい病気は恐ろしいことに変わりないが、それよりもこの状況の方がよほど怖いと感じているのは自分だけだろうか?
日本でもいつもの日常が変わってしまって、いつもできていたこと出来なくなってしまったり、手に入っていたものが手に入らなくなってしまったりしたらしいが、今ロサンゼルスもまさにそんな状況だ。スーパーに行ってももちろんトイレットペーパーがない状態で、その周辺の棚は全て空になってしまっている。これも日本同様、どうやらデマらしい理由で欠品となっている。
アメリカで製造しているトイレットペーパーも多いので、そこに中国が絡んでくることは本来ないのだが、品薄になっている状況で「ならばとりあえず買っておこう!」と思う人も多いのが大きな理由の一つだろう。
さらにはなぜか肉や牛乳、卵など保存が効かないものも品薄になっている状況で、これはバージニア州にいる友達も同じ状況だと言っていた。こうなってくるともうよく分からないが、おそらく「これから起こりそうな何か」に対して食糧難にならないように「とりあえず」買い込んでいる人が多い印象だ。
確かに、その気持ちも分かる。自分も今週いっぱいと少しの食べるものはあるけれど、もしかしたら来週になくなっているかも知れないと思うと、「とりあえず買っておこう!」という気持ちにもなる。ただそういう気持ちが品薄状態を生み出しているのも確かで、完全な悪循環である。
この時みんなが冷静に、どんな食べ物にこのコロナウイルスの影響が出るのかを把握することができていれば、こういった悪循環は起こっていなかったかも知れない。ただここまで来てしまってはもう大変な騒ぎで、お店に入るにも、レジで商品の支払いをするにも長い列に並ばなければいけない状態だそうだ。どこの場所の、どんなスーパーでも大体同じ状況だ。
しかし、コロナウイルスのイメージからアジアンマーケットは比較的商品が残っている。これも完全なイメージで、アジアンの食材が危険な訳ではもちろんない。
それでは面倒だから外食をしてしまおうと思っても、3月16日(月)からロサンゼルス市内全てのレストランでの店内での飲食は禁止になっており、持ち帰りかデリバリーのみでの営業になっている。もちろん全ての店がデリバリーやテイクアウトに適している訳ではないので、こうなると外食業界でもかなり大きな打撃である。
そして持ち帰りの場合は、チップを置いていくお客さんの数もかなり減ってしまうので、ウェイターの人たちへの影響はかなり大きい。バーなどは持ち帰りのメニューがない分、かなり大きな打撃だろう。
そして、映画館やゲームセンターなどの娯楽施設も閉まっている他、多くのファッションブランドもお店を閉めている。大好きなアーバンアウトフィッターズも!これは市が50人以上の人が集まる場所を設けないようにということをアナウンスしたことも大きな理由の一つだ。そのため多くのイベントはもちろん、公共施設や学校等も閉まっている。
なので、今ロサンゼルスはスーパーにも物がなくて、外食もできなければ買い物も出来ない。本当にオフという状態だ。経済がここまで回っていないと正直心配になる。外出したところで何も出来ないので、今ロサンゼルスを訪れていて飛行機が飛ばなくなっている観光客の人は本当に可哀想である。
いいところはというと外出しても渋滞がないので、ただただ遠くに行きたいという人には嬉しいかも知れない。またこうでもないと家でゆっくりする機会もなかなかないので、昨日は約一年ぶり(つまりロサンゼルスに来てから初めて)家から一歩も出なかった。
珍しく雨も降っていたからか、昨日は友達のインスタグラムのストーリーにもペットとのセルフィーや見ている映画の写真が多かった。
ロサンゼルスの人々
こんな状況だからこそ、周りを見ると面白い。こういう特異な状況は、どうやらその人の人となりを表すみたいだ。先述の通り、多くの人はスーパーでのあまり意味のない爆買いをしてしまっているため、冷静な人も何かを買い足しておかないと不安になってくるような状況である。
これが災害などならまだしも、今回のケースは病気が流行っているという状況なので、本当に必要な買い物の仕方なのかが疑問だ。
そして、このコロナウイルスは中国から発症しているというところで、ロサンゼルスの人々の心は穏やかではない。他の都市同様、ここにも多くの中国人観光客や中国系アメリカ人がいる。
彼ら全員がウイルスを持っている訳はもちろんないのだが、アメリカ人の中にはアジアンを見るだけで煙たがる人もいるのも事実だ。我々アジアンが公共の場所で咳などをしようものなら大変だ。
日本人の友達が2週間ほど前にクラブに入ろうと列に並んでいた時、軽く咳払いをしたらエントランスでとうとう入れてもらえなかったらしい。
他の日本人の友達の語学学校のクラスは、彼を含めてほぼ全ての生徒がアジアンらしく、一人だけブラジリアンの生徒がいるというクラス。そのブラジリアンの生徒は元から潔癖なのもあり、アジアンに囲まれて部屋にいるのが耐えられずに早退したなんていう嘘みたいな話も聞こえてきた。
では我々アジアンの反応はどうか。自分を含め韓国人、中国人の周りも割と冷静なものである。あまり過剰に反応するというより、この状況に順応していくのに徹している印象がある。(もちろん、全てのアジアンではないが。)
ロサンゼルス最大の日本人街、Little Tokyoではこんな状況でもスーパーやレストランは営業していた。他のスーパーに比べて商品はあるが、トイレットペーパーなどない物は今でも品薄になっていて、冷凍食品などはかなり売れているらしい。スーパーの周りのレストランは、アジアンのお客さんで相変わらず賑わっていたものの、テイクアウトのみの提供になってからはかなり静かになってしまったと友達のSNSに書いてあった。
その分、Uber Eatsをやっている友達から嬉しい悲鳴が聞こえてきた。考えることはみんな同じなようで、外で食べることが出来ないならデリバリーを頼む人が多くなる。こういう状況だからこそ、繁盛するビジネスは割とあるみたいだ。SNSから見るロサンゼルスの人々はというと、ダンサーの友達はこれまで以上にゆっくりしている人、家で振り付けを考える人、友達同士で集っている人などみんないろんなことをして思い思いの時間を過ごしている。
こうも全てのスタジオが2週間も閉まることはなかなかなくて、ホリディシーズンでもせいぜい1週間がいいところだ。なので、クラスをたくさん教えている先生は、これの打撃をそれなりに受けてしまっている。
そんな中で今多く見られる動きが、オンラインクラスだ。学校の授業などではもうすでに多用されているが、ダンスクラスでの活用も多く見られている。
ダンススタジオのインスタグラムアカウントからライブ配信しているケースもあれば、そのダンサー個人のアカウントからライブ配信しているケースもある。これらはもちろん無料だし、どこにいても受けることができる。昨日は歌手シーアやシャネルのCMの振り付けなどで有名なライアンハフィントンが自身のインスタグラムからクラスを教えていた。
これほどのビッグネームが無料でクラスを教える機会なんてそうないし、彼の懐の深さが伺えた。これは、この時代だからこその素晴らしい流れだと思う。そういえば、どこのスーパーでならトイレットペーパーが売っているかをインスタグラムのストーリーでシェアしていた優しい友達もいたっけ。
こんな今だからこそ、助け合っていこうという流れはダンスコミュ二ティーのみならず全体にも確実に存在している。都市部にしては、東京やニューヨークと比べるとまだ全ての距離が広がっているため、まだマシな方かも知れない。
今できることは何か
いつも自分たちは、何かの制限の中にいる。持っているお金もみんな違った制限があって、1日の時間はみんな同じ24時間という制限がある。その中で、自分が所属している集団のルールという制限に沿って暮らしている。
会社の中でのルール、家族内でのルール、社会でのルール、自分たちは知らぬ間に様々な制限の中で生きている。そんな中にいると、どうしてもないものねだりをしてしまう。「どっかに一億円落ちてないかなー。」とか、「1日が25時間だったらいいのになぁ。」とか、そういうしょうもないことを思ったことは誰にでもあるだろう。
自分がどう動いたって、そんなことは起こらない。だけど「ないものねだり」はふとした時にしてしまう。普段の制限でさえ、ないものねだりは止まらないのに、さらにいつもより制限が増えたらどうなるのか。
どうやら自分たちは、今まで制限されていなかったものを恋しく思うのと同時に、今までの「当たり前」は当たり前なんかじゃなかったことに気が付く。
こうして今、お店や施設、レストランまでも閉まっている状況で、初めて自分は普段の生活のありがたみを実感している。毎週末時間を見つけてはレコードを探していたが、それももちろん出来ないし、大好きなウィンドウショッピングもラストブックストアでふかふかのソファーに座って本を読むことも出来ない。
カフェで書き物をしようと思っても、店内での飲食は出来ない。天気がいいから自転車をこいでどこかに行こうと思っても、行った先でお店は閉まっている。そうなるとわざわざ遠くに行こうとは思わなかったりもする訳で。挙句の果てには毎週受けていたたくさんのダンスクラスも受けることができない。
最初は苦手だと思ってやっていたことも、続けていたものがいきなりなくなると寂しくなるものだ。買い占めしているこれらのビジネスの再開の日にちは、未だに市から発表されていないので誰にも分からない。市ですらウイルスの終息宣言がいつ出るのかも分からないので、先のことは誰にも分からない。
そうなるといつもの当たり前が、急に貴重なものに思えてくる。こんな時にできることは何か。そこにすぐに目を向けられる人は、実はそう多くないかも知れない。非常事態にはどうしても、余裕がなくなってしまうから仕方がないのかも知れないが。
だけど、逆に考えればこんな状況を体験できることはなかなかないのも事実である。こんな今だからこそ、「今まで時間がなくて出来なかったこと」をやるには絶好の機会である。何かを深く勉強するのもいいし、いわゆる「ヲタク活動」をしてもいい。
ネットフリックスに溜まったマイリストの映画を片っ端から見てもいいし、読もうと思って手をつけていなかった本を読み出すこともできる。そういった娯楽にどっぷり浸かるのもいいし、何かスキルをアップさせたり、創作活動をしたりすることもできる。買っていた絵具とキャンバスを持ってきて、ゆっくり絵を書くこともいいし、音楽を作ったり、書き物をしたり、集中した時間を持てる今だからこそ創れるアートはたくさんある。
こう考えると、可能性は割と無限なんじゃないかと思う。多くのアートは、「制限」から生まれているし。ジャズなんて一番いい例で、音楽が禁止されていた奴隷たちが、身の回りにあったものを「楽器」として使って、新しい「音楽」を生み出したことがルーツにある。
こういった視線で今の状況を見てみると、このコロナウイルスというのはある種の「Wakeup Call」のようにも思える。Wakeup Callというのは、「ある状況から目を覚ますように出される警告」とでも言うとふさわしいだろうか。たくさんのビジネスがストップして、仕事や学校の形が変わった今、自分たちがしなければいけないことは何なのか。
「周りのためにやらなければいけないこと」ではなくて、「自分のためにやるべきこと」は何なのか。コロナウイルスは、2010年代が終わった直後の今、新しい時代に向けて新しい自分を見つけるための警告なのかも知れない。いや、考えすぎか。皆さん手洗いうがい、消毒としっかりした睡眠を忘れずに!