ロサンゼルスで生活して気付いたこと!積極的に行動した者はやっぱり強い!
あなたは今まで何回引越しをしただろうか。もしあなたが今も家族と住んでいるなら、その引越しの多くはあなたの意思ではなくて親の都合や、様々な条件があっての引越しだったかも知れない。引越しをすると、否が応でも違った環境での生活を余儀なくされる。
また新しいスーパー、薬局、最寄り駅などに慣れていくのと同時に、今まで歩いていたのが自転車ベースの生活になったり…といった具合に気付いたら日常生活が変わっている。ちなみに作家の江戸川乱歩は親の仕事の都合で2歳に引越しをしたのを皮切りに、70年の生涯を終えるまでに46回引越しをしたらしい。
ベートーベンはご近所トラブルを原因に56年間で79回引越して、葛飾北斎は掃除をしたくないあまり90年間の間に93回の引越しを経験している。昔と今では引越しの勝手も違うだろうが、彼ら偉人たちはいったい毎回の引越しのあとに何を思ったのだろう。
現代に生きる自分たちは引越しで環境が変わると、物理的な変化の前後に感情的な変化を少なからず経験する。
最初は新しい環境に胸を躍らせていたけれど、前の家の窓から見える夕焼けが恋しかったり、友達の家から遠くなって気軽に会えなくなったり、なんだか少しの疎外感を感じたりする。そんなやり場のない思いを胸にコンビニまでいく途中、なんだか良さげな中華料理屋さんを見つけて、気付いたら毎週日曜日の夜はそこのチャーハンを食べているなんて、思わぬ出会いが多いのも引越しのいいところ。
自分も高校留学を決めた時、もちろん物心ついた時から住んでいた地元を離れる時がきた。その時は初めてのアメリカに期待を膨らませていたから、不安などを感じる余裕がなかった。それからバージニアの語学学校に通っていた3ヶ月間の間に寮からホームステイに移り変わり、高校に通うにあたってそこから3年間お世話になるホームステイ先に引越した。
アメリカ内(しかも同じバージニア州内)での引越しは、正直日本にいた時と環境がそれぞれあまりに違い過ぎて、あまり比較ができなかった。だけど二軒目のホームステイ先に引越したばかりの時は、ある種のホームシックのような感じで一軒目の家が恋しかった。変化ばかりが目につくし、今まで住んだどこよりも田舎でその殺風景な家の周りが余計に寂しさを強くさせた。
それから日本に戻り、2年後にロサンゼルスに来てからも引越しをした。最寄り駅は変わらないし、同じエリアだからそこまで気持ちの変化はないだろうと思ったら、プライベートルームを持ったことで心に余裕ができて、自分と向き合う時間がすごく増えた。今まで住んだ場所のどれもがいい思い出だし、どれも自分に必要な場所だった。
そして違った環境に住むと、その時々で気付くことがいつもある。バージニアでの家も殺風景だと思っていたが、その自然と星空が自分の悩みを優しく包み込んでくれた。そこで自分にとって自然がどんなに大切かに気が付いた。日本で2年間住んでいた家は、寂しさとあったかさが背中合わせの家だった。そこで自分に向き合ったから、ロサンゼルスに来れたのだと思っている。
自分と向き合うことの大切さ気付かせてくれたのはあの家だった。住む場所が変わるだけで、こんなにも気付くことがあるのかと驚いていた。ここロサンゼルスに住んで気が付いたことここでシェアすることで、これからここに来ようと思っている人の役に立つ情報を伝え、そして既にロサンゼルスに住んでいる人に共感してもらえたら嬉しい。
語学学校は変えられる
先日、語学学校についてコラムを書こうと思ったのは、実は学校を転校したからである。ロサンゼルスに来るまでは、学校を転校するなんて思ってもみなかった。だけど、こちらでいざ学校に通ってみたら、語学学校があまり自分の身になっていないように思えてきたのだ。週4日間、その週で言うと約20時間学校で過ごしている時間がすごくもったいない感じがしてきた。
これは行ってみないとわからなかったし、半年近く通ったからこそ分かることだったから仕方がないと思っていた。それにしても次に通う学校を決めない限り転校は出来ない。他の日本人の友達が行っている学校も、今自分の行っている学校とあまり変わらないどころか、日本人が多過ぎてもはや日本の学校にいるのと変わらないといった話も聞いていた。なので、そういう学校には行きたくない。さあどうしよう。
このままでは八方塞がりだと思っていたら、日本人の友達のタイ人が語学学校からこちらの短期大学に転校したという話を聞いた。しかも聞くところによると、何と学校に通う日数も変えられるというとんでもなく素晴らしい条件じゃないか。日本にいる時は、まずそんな手段があるなんて思いもしなかったし、耳にも入ってこなかったのでその頭が全くなかった。この情報はロサンゼルスに住んでみないとわからなかったと思う。
こちらで学校を転校する時には、「グレイスピリオド」という転校するのに必要な手続き等に時間をかけられるように最大で60日間の休みをもらえる。
その日数内に新しい学校に通い始めればいいという訳だ。さあその手続きはどんなものかというと、まずは元いた学校からいわゆる退学届を入手して記入する。そこで払戻しの期限内であれば、学校に払っていたが通わなかった分の授業料が返って来る。払戻しの同意書やグレイスピリオド申請の用紙にサインをしたら、今度は新しい学校に行く。
それからは入学手数料の支払いを済ませれば、あとは英文の残高証明書や最終学歴証書を提出する。ここで、前の学校から転校許可証というものも受け取って、新しい学校に提出する必要がある。取りに行くのが難しければ、メールで送ってもらえるか確認してみてもいいだろう。そして新しい学校で入学試験を受けた。
すべて支払いを終わらせてから入学試験を受けると言う流れに「学校もビジネス」といった姿勢を見受けられたが、そこはパス出来たので許すとしよう。これで落ちていたら一体どうなっていたのだろう…。そもそもテストがあることすら知らされていなかったし。
自分が転校を決めた理由は、先述の理由に加えて友達が長い間その学校に通っているという信頼があったから。
ちなみに、「語学学校」の中には名ばかりのところもあって、アメリカに滞在したいだけの理由の人が通うような学校もある。当然授業日数や授業内容も適当な感じになってしまう。そもそも、この手の学校に通う学生は、まともに勉強目的でその学校を選んでいないから、そこに誰も文句を言う人はいない。
しかし、そうした学校に長らく通っていると、アメリカへの再入国が難しくなり得る学校もあるらしい。そのため、学校選びは慎重に行うのがベストだろう。
やろうか迷ったらやるべき
あなたは何事も考え込んでしまうタイプ?それともすぐになんでも決められるタイプ?自分は完全に前者である。グループで話し合いをする時なんて、もちろん相手にもよるが気をつかってしまって、なかなか意見できない時もある。もちろんそれでは話し合いの意味がないし本末転倒なのは重々分かっているのだが、なかなかあと一歩がでない時がある。つまりは、自分を居心地の悪い場所に持っていくのが人一倍苦手だった。
ある人は思い立ったらどんな場所にも行ってみたり、何かに参加してみたり、とにかく行動力がある人もいる。自分はいつもとにかく考え込んでしまうので、それがなかなかに難しかった。ダンスのクラスを取るのですら、富士急ハイランドのジェットコースターに乗るような怖さを感じていた程だ。「ええじゃないか。」と言われようが「全くよくない。怖いものは怖い!」と心の中で葛藤していた。
自分はいつも家にいたいような人間だったから、そのことだけでもどれだけ自分の殻に篭るのが好きだったかが伺えるだろう。ただ自分の殻を一度破ってしまうと、どうやらその殻はどんどんもろくなるらしい。最初に破った殻のは、バージニア州に高校留学をした時。その時は「楽しみ」という感情が先立って、「殻を破る」という発想すらなかった。
最初の1年は、今思うと周りについていくのと自分のベースを固めるのに必死で、自分と戦って殻を破るなんて余裕がなかった。それから現地の人に自分から話かけるなど、小さなステップを踏んでいった。
ロサンゼルスに来てからは、自分をプッシュすることの連続だ。日本でダンスクラスに行くことをためらっていた自分にとって、レベルがはるかに上の本場ロサンゼルスでクラスを受けるということは、もはやジェットコースターどころかバンジージャンプのようなものであった。
クラスの中には”インテンシブクラス”という通常90分のクラスを8時間とか、4時間を4日間とかのボリュームで有名なダンサー・振付師が教えてくれるクラスがたまにある。ダンサーの友達みんながおすすめしていたが、受けるかどうかすごく悩んでいた。これは自分にとってもはやスカイダイビングである。
周りはプロのダンサーばかりだろうし、やる内容もすごく高いはずと分かっていた。そんな中に自分が飛び込んで行って、ついていけるのか?学びきることができるのか?400ドルという値段かそれ以上に学ぶことができるのか?そんな疑問が自分の視界を遮っていた。だが、途中であることにふと気づいた。
ジェットコースターでもバンジージャンプでも、スカイダイビングでも、死ぬことはない。どれだけチャレンジしても、死なないのだ。
散々悩んだ挙句、勢いと友達のプッシュでクラスを受けることにした。ロサンゼルスに来てから3ヶ月後のことだった。結論から言うと、行動して本当によかったと思う。レベルの高いダンサーと学ぶということは、下手になることはまずないし、レベルの高い内容は成長しかない。
それに、いざ飛び込んだら必死でついていくし、学びきるものだ。今思えば、それは高校留学で経験したはずだった。クラスでは自分の足りないところを確認することができて、自分の長けているところをさらに伸ばしてもらえたと思っている。それに気付いたら素晴らしいダンサーの友達がたくさん出来ていた。正直これほど行動して良かったと思うことは本当に久しぶりだった。
つい昨日も、また別のインテンシブクラスを受けてきたのだが、全く後悔をしていない。自分が最年少で、キャリアも一番浅かったが、本当にたくさんのことを学べた。そして、当然のことだが、やっぱり死ななかった。
自分が今そんな状況だから、声を大にして未来の自分とこれを読んでくれている人たちに伝えたいのが、迷ったらやるべし。
シンプルだけど、たまにこれが難しい。でも、それは絶対にあなたを成長させてくれるし、思いがけなかった学びや出会いにあなたを導いてくれる。
「やらない後悔より、やって後悔。」とはよく言ったものである。チョイスの大小関係なく、毎日の生活の中で迷ったらやってみることにしている。チャレンジしたその日の終わりは、心はいつも幸せだったから。
書き留めることの大切さ
あなたは日常的に何かを書いているだろうか?自分が高校に通っていた時は、毎日何かを書かざるをえなかったし、それは小学校からの習慣だったから「書く」という行為をあまり意識していなかった。どちらかと言うと書くことは好きではなかった。そんな自分だったから、何も書かなくなることが当たり前になるなんて思ってもみなかった。
高校を卒業して日本で働き出した時、毎日が忙しくて「意識的に書く」ことをしていない時間が続いたある時、ふとおじいちゃんが定年退職した時の話を思い出した。それまで仕事に忙しくしていたおじいちゃんだったから、その仕事が無くなるとなるとかなり生活も変わる。そこでおじいちゃんは、自分にいくつかタスクを設けていた。
仏像を彫ってみたり(このチョイスがまず変わっているし、かっこいい)、近所の公園であるバードゴルフにも積極的に参加してみたり、細々といろいろなことを始めていたのを覚えている。その中で特に覚えているのが、毎日何かを書くことを始めていたことだった。おじいちゃん曰く、「毎日仕事でモノを書いていたから、それが一気になくなるのはよくない。何よりボケたくないしね。」という理由で、毎日ペンを握っていた。
そんなことを思い出して、家で一人、高校の時の友達がくれた皮のカバーがしてあるノートに自分が何を思っているかを書き出してみたのだ。そうすると不思議なことに、ペンが止まらなかったのだ。書き出してみることで、もやっとしていた考えが少しずつはっきりしていくのが分かる。そうして、「意識的に書く」ということが習慣になっていった。
なるほどこれもおじいちゃんが言っていた通りだった。おじいちゃんはよく、いかに書き留めることが大切かを教えてくれていた。「人間はどうしても忘れていく生き物だから、書くことでそれの感情をまた後から思い出すことができる。」その言葉の通りだった。そして、アメリカに来てからは、自分の気持ちを書き出す回数も増えていった。
環境の大きな変化に戸惑うことも多く、気持ちの起伏が自分でもびっくりするぐらいに激しかったのも、その書く回数が増えた理由の一つだと思う。その日はすごく幸せで活力に満ちていても、次の日にはなぜかすごく悲しくて、やる気が出なかったりする日もあった。つくづく面倒な人間だと自分でも思う。これに付き合わなければならなかった周りの人間は本当に大変だっただろうに…と今では思うけれど、その時は精一杯で周りを気遣えない。
自分の気持ちを書いていくと、行き場のないモヤモヤと霧がかかった状況がだんだんとクリアに見えてくる。そうすると、次に何をしようか見えてくるのだ。ただ一言に「自分の気持ちを書く」と言っても、最初はそれがやりづらいと思う人もいるんじゃないかと思うので、自分なりの「気持ちの書き方」をここで紹介したいと思う。
まずは、頭に浮かんだ気持ちを書く。それが「疲れた」だったらその一言でスタートしてもいい。そこから思い付くようなら、少しずつディテールを書き足していく。「頭が働かない」とか、そういったことでもなんでもいい。ある程度ディテールを書いたところで、「それはなぜか」という理由を見つけてみる。「昨日寝るのが遅かった」とか、「午後がすごく忙しかった」とかそういう些細なことに気付けたら、それはもう気持ちをロジカルに整理できたということだろう。
「じゃあ今夜は早く寝よう」とか、そういう簡単な結論に持っていければ、いくらか気持ちに整理がつくんじゃないだろうか。書くということは、学んだことや出来事についてだけじゃなくてもちろんいいのだ。こうして自分と向き合う時間を持てたのも、世界中からたくさんの人が集まる、個性がぶつかるロサンゼルスだからこそ。自分の気持ちに気付くことが、個性を見つける第一歩だと思う。
行動したもの勝ち
たまに部屋の中でずっと考え込んでいると、なんだかこじらせているような感覚に陥ることがある。そんな体験をしたのは、きっと自分だけじゃないだろう。
もちろん、たくさん考えて行動するのは、何も考えずに行動するよりはいいだろう。だけど頭でっかちになってしまっては、行動するのが億劫になってしまう。
そんな時に自分が思い出そうとするのが、「行動したもの勝ち」ということ。
自分はフットワークが軽い方ではないし、なかなか勢いに乗って行動するのが得意ではない。だけど、「考えてから行動する」のではなく、「とにかく行動してから考える」という方法もあるのだとこちらに来て学んだ。
こちらで出会った日本人の友達の一人、S君はまさに行動力の塊だ。彼はいつもどこかで何かをしていて、限られた時間を目一杯使っているように見える。そんな彼のもとにはやっぱり機会が舞い込んでくる。
彼を見ていると、やっぱり行動した分だけついてくるものがあるんだな…と学ばされる。自分も殻をもっと破って、彼みたいに色々なことにトライしないといけないなと思わされる。そして、あまりに予定を詰めすぎては機会を逃してしまうこともある。
ロサンゼルスに来て学んだことの1つに、空き時間を程よく入れることの大切さもある。
ずっと暇でもいけないけれど、たまに暇な時間がないことには、新しい何かを始めるのも難しい。そして、何かをトライしたりする時、少し腰が引けてしまう自分にいつも言い聞かせるのは、「これをやっても死にはしない」ということ。
これは自分の母がよく口癖のように「死にはしないよ」と言っていたから。今思うとなんともエキストリームな言葉だが、確かにその通りである。