長期滞在していると分かるアメリカのココが良いと思うところは?
突然だが、今少しホームシック気味である。「先週散々日本の良さを書いていたから、日本に帰りたくなったのか」と思っている人がいたら、訂正させてもらいたい。
じゃあ、どこが恋しいかと言うと、最初に留学していた場所であるバージニア州だ。この記事書いている3月31日(火)現在、ロサンゼルスは未だに外出禁止のロックダウン状態で、これが4月いっぱい続くと言うことがアナウンスされたばかりだ。
ずっと部屋の中にいると気がおかしくなってきそうになるので、たまに公園まで歩いてみたりする。その近くにある大きな公園も、同じことを思ったであろうカップルや家族が結構いて、賑わっていた。
これで病気が遷ってしまったら本末転倒なので、みんなそれなりに距離感を保っている。自分も長居は控えた方が身のためだと思い、ある程度歩いて帰宅。
普段なかなか出来ないことを色々とやってみてはいる。映画を観たり、色々な音楽を聴いて研究してみたり、それなりに充実してはいる。だが昨日は公園から帰ってきた後、何かを忘れている気がしていた。
あ、そうだ。今日人と話していない。そんなことに気付いてしまったのが夜8時ごろ。これから友達と会おうにも、みんなこんな状況で集まりたくないだろうし。じゃあ久々に誰かに電話してみよう。いや、かといって時差の関係もあるし、日本の友達に電話にするのは迷惑かな…。
そんな状況で思いついたのが、高校留学時のバージニアの友達だった。「3時間の時差なんてないのと同じだ。」という、何とも都合がいい考え方と一緒に、仲のいい友達に電話したら、そこから懐かしの音楽の話になり、Spotifyの2000s Hit Songsプレイリストを片っ端からかけては歌い踊っていた。
曲を聴いているうちに、日本で英語を勉強していた時、アメリカに初めて来て、高校という荒波に揉まれまくっていた時、やっと出来た友達の誕生日パーティに行った時、プロムに行った時などなど、様々な光景が思い出された。
その友達は本当に悪い奴で、気づいたら4時間話している仲だ。最高な奴に変わりないのだが。そこから、彼女のパソコンに入っている懐かしの動画たちを片っ端から見せて来るじゃないか。「そういえばあの時実は…」的な話もあったり、「あの後こいつはどうしてるの?」なんて話にもなったり、もう懐かしさが一気に牙を剥いたのであった。
初めての高校留学は楽しいことだけではなかったが、楽しいことに溢れていた。ロサンゼルスに来てから、その時のことをたまに思い出すことはあっても、ここまでどっぷりと思い出に浸る時間もなかった。そもそもこの日も浸るつもりはなかったが、一気にホームシックを感じているという次第だ。
本人曰く、彼女は「人をホームシックにさせるのが上手い」らしい。なるほどこれが初犯ではなかったか。他の地元を離れた友達も被害に遭っていたとは…。そんなことから、「アメリカのいいところ」が頭の中をぐるぐる回り出した。
先週、アメリカのここが不便だということをつらつらと書いていたが、書いていくうちにどんどん「いや、こういうところはアメリカも負けてないんだよなあ。」と思うところが多々あった。
それにこれからアメリカに来ようと思っている人には、やっぱりネガティヴもポジティブも、両方の情報をシェアするのが大切だと思うので、今週はアメリカのポジティブサイドを紹介したいと思う。
UberやLimeの普及
いろんな人によく、「アメリカに来る前に何か準備しておけばよかったと思うことは?」と聞かれる。もちろん英語の勉強とか、何か一つでものめり込めるものを見つけてみるとか、そういうざっくりしたものはいくらでもある。
だけど、何か一つ具体的なことを挙げるとなると、「できることなら免許を取っておくといい。」と言うことになると思う。先週少し話した通り、アメリカは車社会である。16歳になったら運転し出すぐらいだから、それもそうなるだろう。
だけど中には、日本で免許を取るタイミングがないまま渡米する人も多いだろう。自分もそのうちの一人だ。アメリカでも免許を取ることができるため、こちらでテストを受けて免許を取ろうとしていた矢先、今回のコロナウイルスのロックダウンが起きてしまった。免許の件は、未だにそちらは手付かずになってしまっている。
そんな無免許組の強い味方が、もうみんな知っているであろうUberである。日本でもUberは利用できるが、アメリカでは(特に都市部では)Uberのドライバー数が多い。そのため、まだまだ普及していない国に比べてサービスが安定している。そして、数が違うということは、値段も安いのが特徴だ。
日本はまだまだタクシーの方が安いし、正直そうなってくるとUberを使う理由があまりなくなってしまう。唯一便利と言えそうなのは、深夜料金がないのと、タクシーのように探さなくてもいいということぐらいだろうか。
アメリカでは相乗り(Pool)と、個人で乗る(Uber X)という2つのオプションから選ぶこともできるため、値段も抑えることができる。先述の通りドライバー数が多いため、時間帯にもよるがあまり待つことなく車に乗れるのも大きな利点だろう。
次に電動スクーターのLimeはどうかというと、そもそも日本でそれを見たことがある人はいないんじゃないか。それでは比較も何も出来ないじゃないかと思っている人、そうなんです。日本の道路交通法では、ああいった電気スクーターは公道を走ることが出来ないのである。欧米だけでなくヨーロッパでも普及しているだけに、全く利用出来ないというのは少し残念である。
もし日本でああいった電気スクーターが利用され出したら、「車で行くには近いが歩くには少し遠い」という距離の場所にはもってこいだと思う。特に東京は全ての場所の距離感が近いので、移動時間の短縮になってかなり重宝されるんじゃないだろうか。
大きな利点である、「どこでも好きな場所で乗り捨てていい」という特徴も、常にさまざまな人が行き交う東京では便利に働くに違いない。
ただ日本で1つ懸念されるところを挙げるとしたら、その道の狭さだろう。
アメリカに比べて遥かに東京や日本の都市の道は細かく入り組んでいて、自転車レーンも少なければ歩行者レーンも狭い。そんな中で車に混じって電気スクーターを走らせるというのは、やはり少し無謀なことにも思えてくる。
その裏を返すと、アメリカは車道も歩行者用の道も大きくて広いし、自転車レーンも多くの場所で確認できる。なので、そういったサービスを安全に利用できるというのはアメリカのいいところでもあるだろう。これはやはり国土の違いということなのだろうか。
Limeについては、以下の記事で紹介したので、併せて読んでみて欲しい。
・【ロスの足】ロサンゼルスの移動方法はどうする?
自由の尊重
最近、皆さん同じように自由が制限されている。理由はもう聞くの読むのも飽きたであろうCOVID-19ことコロナウイルス。トイレットペーパーの数から始まり、楽しみにしていたイベントが中止や無期限の延期、そして挙句の果てには外出禁止令と来るもんだから、こうも「自由」が目まぐるしく変わる変わった経験はなかなかないだろう。
このコラムを書いている4月1日(水)現在、日本は外出「自粛」を要請しているが、アメリカほど厳しくはないということだろう。だがアメリカは「自由の国」ではなかっただろうか?いやそもそも、「外出できること」が本当に自分たちにとって必要な自由なのだろうか?
日本の人々も、こんな状況でわざわざ外出したり買い物に行ったり、自分からリスクを侵そうと思う人はいないはずである。ではなぜ日本のお店はまだ営業しているのか。それはもちろん働かないと食べていけないからである。
経済をストップさせてはいけないということで、国からの補助は現金ではなくお肉券やお魚券という発想になったのだろうが…。(苦笑)日本はあくまで経済を回す手伝いをするだけで、お金で国民を補助する直接的なサポートはしないという姿勢にも見て取れる。
アメリカが外出を「禁止」するという前代未聞の措置をとることが出来たのは、経済を回すということをある程度諦め、感染者をとにかく抑えるということに重きを置いたからではないだろうか。
まだ法案段階ではあるが、家賃の支払い一時停止を支持する案や、一定の年収に満たない所得者には小切手で給付金が数か月以内に支給されたり、失業給付を増額したりと、具体的なサポートが見えている。
ここで自由の国は、外出したりレストランで食事をしたりという「行動の自由」を守ることから、自分たちの身を守る「安全を確保する自由」にシフトチェンジしたように見える。もちろん大統領選が近いことから、これらを大きな一つのキャンペーンと捉える人も少なくないが、サポートを国からしてもらえる時点でありがたい。
アメリカというのはいつだって、良くも悪くも「自由の国」だった。どんな服装でいたって、日本のように白い目で見てくる人は少ないだろう。それが都会にいるなら尚更じゃないだろうか。アメリカの友達で、高校時代には髪を青やピンクに染めていた人が結構いる。
自分も肩まであるぐらいの長髪に、緩くパーマをかけて高校に通っていた。それでも先生に咎められることは全くなかったし、むしろ校長先生からは「その髪型似合っているよ!」と褒められた。そんなに似合っているなら日本に帰ってもキープしようと思っていたら、バイト先を探すのにもその髪型のせいで一苦労だった。
髪型はもちろん、髭なんてもってのほかという姿勢に驚いたと同時に、日本のある種間違った「統一性」みたいなものが見えて、少し残念に思ったのを覚えている。見た目を統一させたところで、気持ちが同じ方向に向いていない職場なんて山ほどあった。
そんな統一性が、「個人が個人らしくある」という自由を奪っているように思える。スターバックスなんかが、すごく良い例だと思う。日本の店舗ではドレッドヘアの人や鼻にピアスを開けた店員を見ることはないだろう。男性も女性も、ある程度は同じ雰囲気だ。
だがアメリカの店舗では人種が違うこともあるだろうが、鼻ピアスを開けている人もいればドレッドの金髪の人もいる。同じ業務をしていて、違うのは見た目だけ。接客態度さえ良ければ、そこで自分たち消費者に何のデメリットも生まれないのではないだろうか。
見た目が派手な人は接客が雑なんていうのは、長年のイメージが作り上げたステレオタイプな考えであることは言うまでもない。
この「見た目」というのはあくまでたくさんある自由の中の一部だが、誰もが一度は経験する「自由への考え」の入り口ではないだろうか。