フィクションだけどノンフィクション!?アメリカを感じられる映画を紹介 (前編)
あなたが最後に映画を観たのはいつだろう。世界が今こういう状況だから、「昨日観た」と答える人も少なくないんじゃないだろうか。
実際、ネットの動画ストリーミングサービスの会員はここ最近でぐっと増えたらしく、みんな考えることは同じで、「家にいる時間が増えるなら、観たかったあの映画を観てみよう!」と思う人は少なくないらしい。
YouTubeでは、視聴者が一気に増えても画質のクオリティをキープするために、一部動画では最高画質を1080pから480Pに一時的に変更するという措置も取られた程だ。
外出制限が出て自宅で過ごす時間が長くなった今、これほどテクノロジーに感謝することもなかなかないんじゃないだろうか。
そしてアメリカでは、本当なら劇場公開されていた映画をインターネットで有料配信する会社も出てきた。これはYouTubeやオンライン動画に押されていた映画業界にとってはいい動きかも知れない。
今まではわざわざ映画館に行って、ストリーミングサービスの1ヶ月分かそれ以上を払って3時間の映画を観るということが新作映画を観る上での流れだった。それが今では家で、いつもYouTubeやNetflixを観ていたそのテレビやパソコンから、新作映画を観ることができるという何とも特殊な状況だ。
かく言う自分は、この機会に貯めていたマイリストをじっくり消化している。新作で観たいものがあった時はよく映画館に行っていたし、一人で観たい映画は一人で映画館に観に行っていた。
あまり邦画は観ず、いつも洋画ばかりである。理由は簡単で英語の勉強になるからである。
中学校生活後半になり、英語の勉強を始めた際に一番やっていた勉強方法が洋画観賞だった。最初は英語字幕ありで観て、分からない単語を書き出していったり、慣れてきたら英語音声だけで観たりと、同じ映画を何回も観た。
そんなことをしていくうちに、どんどん映画というアートにのめり込んでいった。些細な一場面でも、後からそれが物凄い意味を持つこともあるし、役者さんの役へののめり込み方はダンサーとしても凄く刺激を受けるし勉強になるものばかりだ。
自分の中のキャラクターを増やすことで、ダンスでの表現の幅も広がっているように思える。そして何より、映画を通して「現実とは違うどこか」に行けるのが好きだ。同じように思っている人は、もしかしたら多いかも知れない。
映画の中では、自分が理想とする人やライフスタイルを垣間見て感情移入できる。だからこそ自分は、その時憧れていた「アメリカ」にまつわる映画を多く観てきていたのかも知れない。
マイケルジャクソンも、「映画は2時間ばかりの間、現実から離れることができる最高のエンターテインメント」と言っていた。自分たちも彼みたいに自宅にポップコーンマシン付きの映画館を持てたらどれだけいいことか。
だけど今は、もしかしたらいつものマックブックと、お気にいりのマグカップに入ったコーヒーとで、自分のベッドの上で観る映画が一番の贅沢かも知れない。今週は自宅からも「アメリカを感じられる映画」を紹介していきたいと思う。
Morning Glory (2010)
ここロサンゼルスでは、自己隔離生活が始まって一ヶ月あまりが経とうとしている。やっぱり何にもしなくていい(というか出来ない)この環境も最初は良かったけど、だんだんと普段の生活が恋しくなってきたのも事実な訳で。
あの平日の街全体が慌ただしい空気は、今や過去のものになりつつある。自分は正直なところせっかちなので、どちらかと言うと「自分のペースで」(ここ重要)チャキチャキ動いていたいタイプである。
だからそんな忙しい朝も悪くなかったな…と思う今日この頃です。もし少しでも自分に共感してくれるなら、この映画を観て欲しい。
レイチェルマクアダムス演じる主人公、テレビプロデューサーのベッキーの新たな職場は、落ち目の朝のニュース番組。しかも早々に司会の一人をクビにしてしまい、新たにオファーしたのはハリソンフォード演じる頑固な昔かたぎのベテランアナウンサー。
衝突しまくりの二人が困難を乗り越えて、番組を再生できるのか…というのが大まかなあらすじである。まずこの2000年代から2010年代前半の映画によく見られる「ポップでキャッチーなストーリー」はこの映画でも例外ではない。
一応PG-13映画ではあるが、子供でも理解できる程の明快なストーリーは何ともアメリカらしい。そして、まずレイチェルマクアダムスの可愛さが異常に引き立っている。もう魅力的過ぎてストーリーが入ってこない…というぐらい女優としての彼女の良さがたっぷり詰まった作品であることは間違いないだろう。
彼女が演じるベッキーは、何事にもいつも全力で、不器用だけどその真面目さから周りからの人望も厚く、常にチームとのコミュニケーションを忘れない姿勢にはリーダーとしての在り方を学ばされる。
そして、いつも笑顔で感情に正直な何とも完璧すぎるとも言えるキャラクター。それを彼女が演じるのだからもう鬼に金棒状態である。無敵、無双のキャラクターに見えるが、やっぱり頑張り過ぎて大切な人を巻き込んでしまったり、なかなか結果に恵まれなかったり、周りと衝突したり…。
自分たちがどこかで経験したような誰もが共感しやすい描写も入っているから、嫌味なく観られてしまうのは流石ハリウッド映画といったところ。
この映画でのアメリカを感じられるポイントは、リアリティ溢れる朝のニュース場面だろう。
観たことがある人なら分かるだろうが、アメリカの朝のニュースはその独特のインダストリー感というか、作り込まれたフレンドリー感があると思うのだけれど、そこはやっぱり映画の中でも見事に再現されている。
そして、実際に放送されているテレビ番組やニュースの名前も出てくるので、アメリカのカルチャーがかなり学べるのではないだろうか。アメリカの朝のニュースを観たことがない人も、この映画に出てくるシーンはほぼ実際のニュースと大差ないと思ってもらって大丈夫だろう。
そんなニュースの舞台裏も、オーケストラのシンフォニーさながらに繊細かつダイナミックに表現されている。特にカメラカットを指示する場面なんてリアリティ満点だ。
そして皆さんご察しの通り、マクアダムス主演ということは恋愛の要素はもちろん絡んでくる訳で。こちらはもう名人芸といった感じで、リアリティとは真逆のおとぎ話のような展開だがそこが映画のバランスを保っているのかも知れない。
多くのシーンがニューヨークで撮影されているため、ニューヨークに行ったことがある人、もしくはこれから行こうと思っている人には見覚えのある場所や有名な場所も多くて、視覚的にも楽しいだろう。
この映画で、日常の生活に戻った時の「働く自分」をイメージしておくのは如何だろうか?
La La Land (2016)
「温故知新」とは、本当によく言ったものだと感心してしまう。それがアートであろうと、ビジネスであろうと、どんな業界でも古くからのクラシックを現代的にアップデートして、新たなものを生み出した成功例は少なくない。
古くに成功したものは、やっぱりそれなりに魅力的だったから成功した訳で、それを現代に置き換えたらどうなるかという発想がすごく大切になってくるのであろう。そういった意味で、この映画がヒットしたのもすごく納得できる。
当時自分は高校生でアメリカにいたが、映画館にはたくさんのお年寄りの方達がいたのを覚えている。咳があちらこちらから聞こえてきて、もはやそういう演出なんじゃないかと思う程だった。この2016年の大ヒット映画は、1920年代の往年のミュージカル映画へトリビュートを捧げている作品であり、それを現代の技術と視覚効果でフレッシュに仕上げている。
常にたくさんの人が夢を追いかけてやってくるロサンゼルスを舞台に、エマストーン演じる俳優志望のミアとピアニスト志望のセブの恋愛模様をベースに、それぞれの夢への道のりや都会での葛藤をファンタジックかつ少しリアルに描いた作品。
きっともうほとんどの人が観たことのある映画だろうが、何度観てもこの映画の色鮮やかな色彩には目を奪われる。エマのドレスの色は常に華やかに目に飛び込んでくるし、ロサンゼルス特有の真っ青な空、煌びやかなパーティシーン、哀愁漂う埠頭の深い色の中で歌うライアンのシーンなど、この映画において色彩は凄く大きな役割を果たしている。
これほど色彩とムードを分かりやすく結びつけた映画はもはや画期的である。そして往年のハリウッド映画よろしく、季節や時間軸をはっきりと明確にさせた上で進んでいくストーリーも、この映画の特徴の一つだろう。
この映画は冬から始まり、春、夏、秋、と季節を巡ったあとは5年後の冬で物語が終わる。ロサンゼルスという四季が微妙で日本ほど明確ではない場所を舞台にしてはいるが、そこは服装や飲み物、プールといったロケーションなどで上手く季節感と時間の移り変わりを表現している。
そんな中で繰り広げられる二人の関係は、時に二人は観客になんて観られていないかのように高ぶり、また大きくすれ違ってしまう。そんな関係だけを切り取ったストーリーであれば、正直何の目新しさもない映画になっていただろう。
そこで二人が追う「別々の夢」と、それを暖かく、そして時に厳しく受け入れるロサンゼルスという場所、何より感情に訴えかける音楽とダンスがこの映画を唯一無二にしている。ロサンゼルスらしさが所々に、少々皮肉気味に描写されているのもこの映画の見どころの一つだろう。
延々と続く渋滞、理不尽で自己中心的なハリウッドの人々などは的を射ているし、そんな中でも夢を追いかけるのを止めるのも、その歩を進めるのもその長ーい渋滞や理不尽な人たちではなく、結局は自分自身であるということも教えてくれる。
ロサンゼルスの観光名所であるグリフィス天文台など、有名な場所も数多く映画に使われているため、ロケ地を調べて「聖地めぐり」をしている人が多いのも納得。この映画の結末について、否定的な意見と肯定的な意見に分かれているが、自分は「現代のミュージカル映画」として物語を締めるのにはベストなエンディングだったと今でも思っている。
ネタバレを避けるためにこのぐらいに留めておくが、高校の時の友達は完全に反対派だったので、物理の授業中にかなりこれについて議論したのを覚えている。あなたはどう考えただろうか。まだ観ていない人は、是非とも自分の目で確かめてみて欲しい。
思ったより濃い内容になってしまったので、第一弾はここまで。第二弾はまた次回に!